文集オンライン「ローマの滅亡とともに、上水道は大部分が破壊」2021年7月

 

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「トイレも風呂も消え、道路や広場は糞便で汚れ放題…」衛生観念が無視された街で広がったハイヒール、スカート、香水の意外な“共通点”



文春オンライン

ハイヒール・スカート・香水

“エチケット”の語源?

コレラ流行は何が原因なのか?

水道を供給する会社によって、コレラによる死亡率が異なる

伝染病が上下水道を発達させた

ニホンオオカミが絶滅した一因である憑き物落とし


クジラにのみ込まれたロブスター漁師、驚きの体験

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クジラにのみ込まれたロブスター漁師、驚きの体験を語る 米

2021年6月12日 15:57 発信地:ニューヨーク/米国 [ 米国 北米 ]

クジラにのみ込まれたロブスター漁師、驚きの体験を語る 米

ザトウクジラの口にくわえられるアシカ

【6月12日 AFP】米国で11日、ザトウクジラにのみ込まれたものの生還したロブスター漁師が、その驚くべき体験を語った。

 危機一髪の生還を果たしたのはマイケル・パッカード(Michael Packard)さん。その数時間後、「閉じたクジラの口の中に30~40秒ほど入っていた。クジラは水面に上がり、私を吐き出した」とフェイスブック(Facebook)に書き込んだ。「ザトウクジラが私を食べようとした」 「ひどくけがをしたが、骨は折れていない」

 パッカードさんが地元紙ケープコッド・タイムズ(Cape Cod Times)に語ったところによると、マサチューセッツ州の沿岸で海に潜ってロブスターを捕っていた時、大きな口のクジラに遭遇した。

「突然、強く押された感じがした。次の瞬間には真っ暗闇の中にいた」と、退院後にパッカードさんは語った。

 クジラは体長10メートルほど。当初パッカードさんはサメに襲われたと思ったが、歯がなかったことと、自分の体に一目で分かるような傷を受けなかったことから、サメではないと思い直した。

 パッカードさんがもがき始めると、「光が見え、クジラが頭を左右に振りはじめた。次の瞬間、私は外(水中)に出ていた」という。

 同紙によると、パッカードさんの仕事仲間、ジョサイア・メイヨー(Josiah Mayo)さんが、「クジラが上がって来て爆発のような水しぶきが上がり、パッカードさんが吐き出された」のを見たという。

 同紙には、メイヨーさんが語った内容を裏付ける証言は載っていないが、マサチューセッツ州プロビンスタウン(Provincetown)の沿岸研究センター(Center for Coastal Studies)でザトウクジラ研究のディレクターを務めるジューク・ロビンス(Jooke Robbins)氏は、この話を疑うべき理由はないと語る。

 ロビンス氏は、「ほら話ではないと思う。今回の出来事に関係した人たちは私の知人で(中略)私にはこの人たちが話す内容は事実だと信じるあらゆる理由がある」と話し、「クジラが獲物を捕る時は(中略)前に突進して口を開け、魚と水を一気にのみ込む」と説明。クジラは口は大きいが喉が狭いので、人間をのみ込むことはできないだろうと指摘した。

 ロビンス氏は、今回の一件は細かい点にまだ明らかになっていないこともあるが、一つだけはっきりしていることがあると言う。「十分に注意することが重要だ。そして、クジラを見たらしっかりと距離を保つこと。クジラに十分なスペースを与えることが非常に重要だ」 

クリスチャンが待ち焦がれたメシヤとは韓鶴子

☠早稲田聖殿ブログからの無断転載記事 

http://shimpankaihiproject.blog.fc2.com/blog-entry-378.html

審判回避プロジェクト



371残念な家庭連合の新体制/クリスチャンが待ち焦がれたメシヤとは韓鶴子ですか?!


 目次
(1)残念な新体制
(2)天寶家庭の嘘
(3)似てない孤独の重圧
(4)強制労働の嘘
(5)侍墓(シミョ)の嘘
(6)間違ったことも受け入れよ
(7)クリスチャンが待ち焦がれたメシヤ
(8)方相逸を制裁するべき
(9)太鼓持ちの趙誠一
(10)女メシヤという思い込み
(11)正しい道に戻るとき

***

(1)残念な新体制

■昨年10月、私は第2回鉄杖祝祭参加のために米国ペンシルベニアに行きましたが、その時に家庭連合会長が田中富広に替わったことを耳にしました。また、神日本大陸会長が方相逸(バン・サンイル)ということでした。

田中富広

■帰国して「世界家庭」を見ると、徳野英治は天議苑苑長、趙誠一(チョウ・ソンイル)が企画調整室長、堀正一(まさいち)がアジア大陸の海洋圏会長、鄭泰奭(チョン・テソク)が第6地区(台湾)会長(地区長を地区会長と呼ぶようになった)、竹内啓晃(ひろあき)が神日本大陸副会長という人事でした。

方相逸

■田中富広は私が山手線で長時間の特別インタビューを行い、韓鶴子は無原罪の生まれなのかを何度問いかけても答えず、可哀想な姿を晒しました。この人物が日本の会長に出世したと聞き、残念に思いました。


■方相逸は、2018年3月17日、日本サンクチュアリの本体論修錬会が御殿場で開催されたとき、劉正玉先生を訪ねて来ました。その帰り際に私から韓鶴子は無原罪の生まれなのかを聞かれて、「ばかやろ」を連発する品性のない姿を晒しました。


■この時、方相逸に同行していた若い韓国人の男が、第6地区会長に出世した鄭泰奭です。韓国人はすぐに力尽くで向かって来るのですが、この時、私のカメラを奪おうとしました。そして、2019年10月27日、私の自宅前に押し掛けた4人のうち、名前の分からなかった韓国人がこの鄭泰奭でした。この時は私の姉からカメラを奪おうとしました。

チョンテソク

■趙誠一は企画調整室室長になりました。2019年10月6日の名古屋大会では、警官に食ってかかる粗暴な姿がカメラに収められています。


■このように家庭連合の新体制は方相逸、趙誠一、鄭泰奭という粗暴粗野な韓国人に、田中富広という頼りない日本人が支配された、とても残念な構図になっています。

自宅騒動チョンテソク

(2)天寶家庭の嘘

■「世界家庭」2021年11月号に、方相逸就任の挨拶が掲載されています。韓鶴子の夢を見たという話から始め、それは伝道を意味する夢であったと語りました。そして、その夢の数日後に行われた祝勝会で韓鶴子自身が伝道を強調したので、それは偶然の夢ではなかったとして、伝道の重要性を訴えていました。

趙誠一

□方相逸:第三は、伝道です。これはいくら強調してもしすぎることはありません。真の父母様は数限りなく伝道の重要性を語ってこられました。伝道は、私たち自らが闘い、勝利しなければならない宿命的責任です。日本社会は、高齢化や若者が宗教に関心がないなど、一見すると伝道が難しい環境にあるかも知れません。しかし、霊界を動員し、真の父母様のみ言を伝搬していくならば、必ず良い結果がもたらされるはずです。(「世界家庭」2020.11/P.25)


■私は方相逸のこの言葉に全く異論はありません。いつでも伝道は大切なことです。私が問題にしたいのは、方相逸のこの言葉と、家庭連合が592の天寶入籍勝利家庭が誕生したと発表していることが矛盾しているということです。

昨年10月10日に天宙聖和8周年行事と合わせて天寶式が行われ、全世界で3205の天寶家庭が天寶苑に搭載(登録)されました。天寶式には天寶家庭と呼ばれる夫婦が紫の韓式のガウンを羽織って参加していました。今まで見たことのない紫のガウンが、新たな格式と階級の出現を印象付けました。この3205のうち592が日本の天寶家庭です。

天寶家庭とは縦的430家庭祝福と横的430家庭祝福を完了した家庭のことです。縦的430家庭祝福とは清平における先祖430代の解怨祝福のことですから、これはお金があれば誰でもできます。しかし、横的430家庭祝福となれば、現実に人を伝道し、430カップルを祝福に導かなければなりませんから、容易なことではありません。

その勝利家庭が592家庭あるとのことですから、復帰された人数は592×430=254,560カップルとなり、天寶家庭が伝道しただけでも、日本において約25万カップル、約50万人がいることになります。ですから、伝道は驚異的に進んでいることになります。

天寶家庭

■「世界家庭」2021年11月号の巻頭見開きに天寶入籍式の写真があり、松濤本部礼拝堂に紫の韓式ガウンを着た人達が勢揃いしています。592家庭が横的430家庭の祝福を成し遂げたということであれば、方相逸は日本の伝道は大いに進んでいると喜び、その快挙を称えるべきでしょう。

しかし、方相逸の会長としての第一声で日本の伝道の難しい環境を嘆きながら、それを打開してほしいというお願いをしてます。これはなぜかというならば、新規の伝道および祝福など少しも進んでいないからです。アフリカ人の名簿をお金で買って、430の数字合わせをしているという話も聞きました。紫のガウンを羽織って天寶家庭であると格好をつけてみても、それは実体が伴っていない画餅です。

(3)似てない孤独の重圧

■昨年の10月29日に家庭連合の新体制出発式がありました。ここでの挨拶で方相逸は自分の父親が岩手の炭鉱から逃げ出した話をしました。「岩手から下関(山口県)まで、四か月間かけて逃げたのです」(「世界家庭」2020.12/P.13)とのことです。このエピソードはお父様の自叙伝にも掲載されています。

□文鮮明師自叙伝:彼は日本の統治時代に徴用で連れて行かれ、岩手の炭鉱で強制労働に従事した人でした。仕事がとてもつらく、死を覚悟して炭鉱を脱出した彼は、下関まで数十日かけて歩いていき、釜山行きの船に乗ってようやく故国に戻ってきました。(光言社文庫版P.242)

強制労働

■お父様の自叙伝では「下関まで数十日かけて歩いていき」となっています。どちらが正しいのでしょうか。

父親は「警察に捕まるのではないか」と考えると恐ろしくてたまらず、ひとりで逃亡するときの孤独感は、死の恐怖にも匹敵するものだったそうです。そして方相逸は、韓鶴子がひとりで天の摂理を担う重圧で眠ることもできずに、涙で夜を明かしておられると話をつなげ、韓鶴子がどれ程孤独で寂しい方でしょうかと訴えました。

□方相逸:私の脳裏から離れることができない、父の、「ひとりでいるときがいちばん恐ろしかった」という話を思い返すたびに、真のお母様のお姿が、目の前に浮かんできます。外的には、華麗な天正宮博物館にいらっしゃったとしても、心には、天の摂理を担う重圧と、孤独、寂しさを抱えながら、日々を過ごしていらしゃる真のお母様のことを思うと、心がとても痛みます。(2020.1.29「世界家庭」2020.12/P.13)

■仮に韓鶴子が孤独の立場で摂理の重圧に耐えているとして、それを、警察の影に怯え、ひとりで逃げ続けた父親の場合と同列に扱うのはおかしなことです。もし、方相逸の父親が韓鶴子の前で「警察から逃げた私の苦しみの経験からして、あなた様の孤独の苦しみはよく分かります」などと言おうものなら、韓鶴子は怒るでしょう。

(4)強制労働の嘘

■方相逸は自分の父親は強制労働に従事したと語りました。

□方相逸:父は日本の岩手県で約2年間、炭鉱夫として強制労働に従事し、言葉では言い表せないほどの苦痛に遭いながらも生き残りました。(2020.10.29「世界家庭」2020.12/P.13)

■また、強制連行という言葉も使っています。

□方相逸:以前にお話ししたように、私は強制連行の体験を持つ父のこともあり、個人的には、日本が好きではありませんでした。(2021.1.5「世界家庭」2021.2/P.13)

強制連行

■方相逸の父親のエピソードがお父様の自叙伝に掲載された理由は、日本に対する父親の怨みを、方相逸の日本人妻が何度も頭を下げることで全て解消したということを証するためでした。この日本人妻の名前は藤之原和代といいます。この人も強制労働という言葉を使っています。

□藤之原和代:義父は岩手県の炭鉱で強制労働に従事しました。私が嫁として挨拶に行った時は涙を流し、到底、そこにいることはできないというようすで家の門が閉ざされていました。家に入れない私たちの姿を見て村人達が騒ぎ出したので「恥ずかしいから入りなさい」と言われ、家に入れてもらえました。長男夫妻の助けもあり、義父母に敬拝を捧げることができましたが、義父は情けないやら悔しいやらで、ずっと涙を流していました。(2020.11.29「世界家庭」2021.1/P.27)

■朝鮮人に対する強制労働という言葉が妥当性を持つのは、1944年9月から1945年4月の間に実施された徴用による動員の場合のみです。徴用は終戦の約1年前から始まりました。(徴用でも給与は支払われています)

□李宇衍:徴用で日本に行った朝鮮人は10万人以下だったと推定します。徴用は法律が規定する強制的な動員方法でした。徴用を拒否すれば1年以下の懲役、もしくは100円以下の罰金に処せられました。徴用以前には、1939年から実施された「募集」と、1942年2月から始められた「官斡旋」という方法がありました。募集と官斡旋には法的強制性がありませんでした。朝鮮人が応じなければそれまでのことで、その朝鮮人を処罰することはできませんでした。(「反日種族主義」P.67〜68)

藤之原和代

■方相逸の父親は「岩手県で約2年間」働いたということですから、徴用ではありません。募集もしくは官斡旋の出稼ぎに該当します。藤之原和代は義父がどのような経緯で日本に渡ったのか、説明する必要があります。

藤之原和代は義父に謝罪して怨みを解放したという話で終わるのではなく、また強制労働という言葉で、一方的に日本を悪者にしてしまうのではなく、真実を明らかにし、日本に対しても責任を果たすべきです。

方相逸の父親は岩手から下関まで、数十日もしくは四か月間かけて歩いて逃げました。そして釜山行きの船に乗ることができました。この逃避行がどのようにして可能になったのか、藤之原和代はその詳しい話を義父から聞いていないのでしょうか。

方相逸の父親を助けた日本人はひとりもいなかったのでしょうか。もし助けた日本人がいたのなら、そのことを言わなければ公平を欠くことになります。

(5)侍墓(シミョ)の嘘

■方相逸は新体制出発式で、自分の父親が亡くなったときの侍墓の経験について語りました。葬儀が行われる3日間、子供は寝てはいけないそうです。方相逸が少しでもうとうとすれば、村の長老から恐ろしい剣幕で叱りつけられたそうです。

□方相逸:ですから、私も父の葬儀で3日間、寝ることができませんでした。「死ぬかも知れない」と思うほど大変な思いをしたので、母に「お母さんは絶対に死なないで下さい」と懇切にお願いしたほどです。(2020.10.29「世界家庭」2020.12/P.14)

■そして、韓鶴子が3年間の侍墓生活をしたという話をしました。

□方相逸:真のお母様は3日でも3か月でもない3年間、1095日間、雨が降ろうが、雪風が吹き荒れようが1日も欠かすことなく、朝、昼、夕、1日に3回以上、本郷苑を訪ねて真のお父様に侍り、精誠を捧げるという、驚くべき闘いに勝利されました。(2020.10.29「世界家庭」2020.12/P.14)

■方相逸は3日間寝ることができず死ぬほど辛かったという話をして、韓鶴子の侍墓もそのような基準であったと聞く者に想像させています。しかし、韓鶴子が不眠不休の侍墓生活をした訳ではありません。また、「朝、昼、夕、1日に3回以上、本郷苑を訪ねて真のお父様に侍り」と方相逸は語ってますが、全くの嘘です。

新体制出発式

□韓鶴子自叙伝:私は、夜明けと共に家を出て、京畿道加平郡の天聖山にある夫の墓まで登りました。(中略)山道で足を止め、しゃがんで草花をじっと見つめると、それらはたとえ振り向いてくれる人がいなくても、朝日を一身に浴びながら、非常に美しい姿を見せているのが分かります。(中略)下り道では、野草や松の木に挨拶をします。「自然の友だちよ、明日また会いましょう」(「人類の涙をぬぐう平和の母」P.29〜31)

■これを読むと、韓鶴子が本郷苑を訪ねたのは朝の1回だけだということが分かります。おまけに、韓鶴子は山道を登るのでも何でもなく、エスカレーターで天正宮の裏庭に出るだけの話です。そして「1095日間、雨が降ろうが、雪風が吹き荒れようが1日も欠かすことなく」という方相逸の言葉も、ひどい嘘です。

天宙聖和式から40日目の2012年10月25日に追慕40日礼拝が行われましたが、韓鶴子はこの翌日にラスベガスに向けて出発し、14日間アメリカに滞在しました。2013年10月12日から23日の12日間は日本に滞在し、5か都市において講演したことは、日本食口なら知っていることです。1095日(3年間)のうち、少なくとも228日は海外生活をしています。(→参照No.362)

(6)間違ったことも受け入れよ

■方相逸は昨年11月6日に第3地区の指導者が集まった新体制出発式でのメッセージで、統一教会に導かれた時の話をしました。彼は光州でも1、2を争う、信徒数が千名を超える既成教会に通っていたそうです。そこの牧師はお父様をサタン呼ばわりし、方相逸はその言葉を完全に信じていました。そのような状況下で原理を聞き、劇的に復帰されることになるのですが、この既成教会がなぜ大きく発展したのかという話をしました。

□方相逸:既成教会では、牧師は信徒たちからメシヤのように扱われます。私も牧師を神様のように思ってその言葉を全て受け入れました。批判したことは一度もありません。牧師がこの白い壁を「黒い」と言えば、そのごとく信じるのです。韓国の既成教会では今も、牧師が絶対的な立場に立っています。私は、韓国で既成教会が発展する理由がそこにあるように思います。(2020.11.6「世界家庭」2021.1/P.20)

■そこで、家庭連合ではどうかというならば、説教のあとに食口たちが「きょうの説教はものたりないね」と、こそこそ言って牧会者を批評するのを見たことがあり、これでは教会は絶対に発展しないと語って、以下のように続けました。

□方相逸:ですから牧会者と婦人代表は完全に一つにならなければなりません。もし、牧会者が間違ったことを言ったと思ったとしても、「これには何か理由がある」と受け入れるところから神様の役事が始まるのです。(2020.11.6「世界家庭」2021.1/P.20)

■方相逸は3月14日に長野家庭教会で説教をしましたが、ここでも同じ話をしました。

□方相逸:私は礼拝が終わったあと、食口たち三、四人が集まり、「きょうの説教はよく分からなかったね」と批評するのを何度も見たことがあります。韓国でキリスト教が大きく発展した理由の一つは、信徒達が牧師の言葉に純粋に対応し、その指導のごとく実践したからです。短期間で人口の三分の一がクリスチャンになりました。(2021.3.14「世界家庭」2021.5/P.13)

渾身のパフォーマンス

■韓国の既成教会がどれほど大きく発展したとしても、全てお父様を否定したのであり、何の手本にもなりません。方相逸は、牧会者が間違ったことを語っても、そのごとくに受け入れるべきだと言いましたが、牧会者は間違ったことを語ってはならないと指導するべきです。しかし、人間ですから間違うこともあるでしょう。その場合は、できるだけ早く取り消して、謝罪しなさいと指導するべきです。

方相逸は修錬会に参加して原理に感動し、お父様をメシヤとして受け入れました。その後すぐに教会に行き、その感動を牧師に伝えると、「お前は何を言ってるんだ。ばかやろう」と罵倒されました。そして、統一教会のスパイ呼ばわりされて、数人の副牧師から、門の外に放り出されたそうです。牧師がお父様のことをサタンと言ったその言葉を、最後は方相逸自身も信じませんでした。牧会者が間違ったことを語っているなら、それを信じてはいけないということではないですか。

(7)クリスチャンが待ち焦がれたメシヤ

■2月7日、天正宮と松濤本部をインターネットでつなぎ、ネット中継という形で「神日本第一地区希望前進礼拝」が行われました。これに韓鶴子がオンラインで参加し、方相逸が説教を行いました。何百人かが同時アクセスしていたでしょう。ネット会議をした経験があれば分かりますが、そこに何人参加していようが、発言者と視聴者の間には、一対一の対面で話をしているかのような効果が生じます。

ですからこのとき、方相逸は韓鶴子に対して一対一の対面で話をしているような緊張を強いられたはずです。別の言い方をすれば、自分を日本の総責任者として取り立ててくれた韓鶴子の面前で、一世一代、渾身のパフォーマンスをやり遂げなければならない覚悟を迫られました。


これは公開中継されませんでしたので、私は見ていません。しかしPEACE-TVとUONEニュースに、方相逸が語る短い場面と、それを聞いていた韓鶴子が感動の余り、涙ぐんでいる様子が映っていました。方相逸が韓鶴子を縦横無碍に持ち上げる饒舌とその気迫たるや、大したものであると思いました。さすがの徳野も絶対にかなわないと、こればかりは徳野に代わって、私は完全に脱帽します。

■そして、その気迫もさることながら、方相逸が語った内容も、私を卒倒させるものでした。方相逸は韓鶴子自叙伝の序文の一部を読んだ後、韓鶴子お得意のスピーチをまねて、「天の父母様は4千年の長い歴史をたどりながらイエス様を送って下さいましたが、無知なるユダヤ民族はイエス様を十字架にかけました」と語り、そして以下のように続けました。

□方相逸:それでも、天の父母様は痛みと苦難を耐えられ、再び二千年という長い歳月をかけて蕩減条件を立て、ついに救援摂理の完成者として、救世主、真の父母様をこの地に送って下さいました。しかし、多くのクリスチャンたちはいまだに、天の雲に乗ってこられるメシヤを待ち焦がれています。

聖書の記述を文字どおりに信じ、空に浮かぶ綿雲を眺めているのです。私も幼少の頃からキリスト教を信仰していたのでよく分かります。クリスチャンたちがメシヤを待望する情熱は想像を絶するものがあります。そのメシヤとして来られた方が、今、正に私たちの目の前にいらっしゃる真のお母様なのです。(2021.2.7「世界家庭」2021.4/P.15〜16)

■な、な、な、な、何なんでしょう、これは??!!私はここで5分ばかり絶句したいのですが、このまま続けます。

女メシヤ

(8)方相逸を制裁するべき

□方相逸:それでも、天の父母様は痛みと苦難を耐えられ、再び二千年という長い歳月をかけて蕩減条件を立て、ついに救援摂理の完成者として、救世主、真の父母様をこの地に送って下さいました。
→(私)フムフム、「救世主、真の父母様」とはお父様のことを言ってるよね、その通りだよね。

□方相逸:しかし、多くのクリスチャンたちはいまだに、天の雲に乗ってこられるメシヤを待ち焦がれています。聖書の記述を文字どおりに信じ、空に浮かぶ綿雲を眺めているのです。
→(私)その通りだね。しょうがないよね、クリスチャンたちは。

□方相逸:私も幼少の頃からキリスト教を信仰していたのでよく分かります。クリスチャンたちがメシヤを待望する情熱は想像を絶するものがあります。
→(私)なるほどね。方相逸はクリスチャンだったから、雲を見てメシヤを待ってたんだし、その情熱はものすごく大きかったんだね。

□方相逸:そのメシヤとして来られた方が、今、正に私たちの目の前にいらっしゃる真のお母様なのです。
→(私)ちょ!ちょ!ちょ!ちょ!ちょ!ちょ!ちょ!ちょとお!ちょとお!ちょとお!違うだろ!違うだろ!それは!!違うだろ!それは!!

■やっぱり、5分間、絶句します。

 (間…)

■私は方相逸が自慢していた光州で1、2を争うほど大きいという彼の出身教会の牧師という方に、副牧師全員を引き連れて、松濤本部を訪ねてもらいたいと思います。たとえ、異端の教団で方相逸が出世したことは許せたとしても、クリスチャンが雲を見ながら待ち望んだのが韓鶴子だと言ってのけるほどの異端は、その牧師の方にしても絶対に許せないと思います。ぜひ、日本まで来て頂き、躊躇なく副牧師に命じて方相逸を袋だたきにしてほしいと思います。方相逸をクリスチャンとして育てた責任を取ってほしいと思います。

(9)太鼓持ちの趙誠一

■今回の人事で趙誠一は表に出るようになりました。それまでは対外協力室長とかの肩書きでしたが、本部で何をしているのかよく分からない存在でした。企画調整室の室長という肩書きで、「世界家庭」2021年5月号にメッセージが掲載されています。その生涯が偉大であったとして、大母様を称えています。

趙誠一室長

□趙誠一:第三に、「マリヤは本来なら、イエス様を誕生させた後、ヨセフと夫婦生活をしてはならなかった」という真のお父様のみ言があります。マリヤはイエス様をザカリヤ家庭で勝利的に身ごもり、その後、ヨセフの家に戻り、イエス様を原罪のないメシヤとして誕生させました。

マリヤはその後、貞節を守り、イエス様の前に独り娘を探し出せるよう協助し、イエス様が真の父母になられてから、その真の父母から祝福を受けてヨセフと家庭生活をしなければなりませんでした。しかし、マリヤはそれに失敗し、神の摂理と関係のない道を行きました。

イエス様はそのようなマリヤに対し「カナの婚礼」で叱責されました。結局マリヤは原罪のないイエス様を身ごもることには勝利しましたが、イエス様に侍り真の父母を立てるための摂理においては失敗するようになったのです。そのマリヤの生涯を蕩減し、勝利された方が大母様でした。

大母様は大父(テブ)様と結婚し、独り娘である真のお母様を誕生させた後、大父様との生活において貞節を守りその基準を勝利されました。そのことがどれほど難しいか、皆様はご存じでしょう。その生涯を勝利された方が大母様です。(「世界家庭」2021.5/P.23)

■趙誠一が韓鶴子の太鼓持ちであることがよく分かる文章です。韓鶴子の父親である韓承運を大父様と呼びます。趙誠一はこの文章で、今まで日本人食口の目に隠されていた独生女論の根幹を明らかにしてくれました。

マリヤはイエス様を産んだあと、ヨセフと夫婦生活をしたので失敗しましたが、洪順愛大母(ホンスネテモ)は韓鶴子を産んだあと、貞操を守ったのでマリヤの生涯を蕩減し、勝利した母になったと説明しています。あたかも洪順愛大母がマリヤと同使命者であるかのように錯覚させています。

マリヤがザカリヤとの間に無原罪のイエス様を産んだように、洪順愛大母が韓承運との間に無原罪の韓鶴子を産んだと言いたいのです。韓鶴子は無原罪のメシヤであるというのが、独生女論の核心なのです。

血統転換

□韓鶴子:そうして、二千年前のマリヤとは違って、大母様は独り娘を誕生させた方として摂理が分かったので、責任を果たすために家庭を捨てました。一生をメシヤ、独り娘のために生きられたのです。分かりますか?(はい)過去、イエス様を誕生させたマリヤは責任を果たすこともできずに、ヨセフと暮らしました。しかし、大母様はそのようにはしませんでした。真の父母としてみ旨を勝利しうる環境圏をつくってさしあげるために、全力投球された方です。(2017.2.25「世界家庭」2017.4/P.9)

■このように、韓鶴子自身がマリヤと自分の母親を同列に並べています。趙誠一は韓鶴子のこの考えを代弁したに過ぎません。イエス様の血統転換についていうなら、マリヤはヨセフとの婚約中にザカリヤと関係を持ってイエス様を身ごもったのであり、その後、ヨセフと関係を持ってはいけませんでした。

ところが、洪順愛大母は韓承運と結婚して韓鶴子を身ごもったのであり、その後、韓承運とは関係を持たなかったといっても、血統転換の公式には少しも当てはまりません。もし、韓鶴子が血統転換を果たして産まれたと言いたいのなら、洪順愛大母は韓承運との婚約中に、他の男性と関係を持って韓鶴子を身ごもり、その後、韓承運とは関係を持たなかったということでなければなりません。

だから、洪順愛大母をマリヤと同使命者のように考えるのは間違いです。また、上の韓鶴子の言葉に、「一生をメシヤ、独り娘のために生きられたのです」とあります。ここにも、自分をメシヤとする韓鶴子の考えが表れています。

(10)女メシヤという思い込み

■韓鶴子はいつから「独り娘」「独生女」ということを語り始めたのか、「世界家庭」で探してみると、2014年5月27日から6月13日までスイスに滞在し、アルプスの12峰を観光して帰国した、6月14日の勝利帰国祝勝会でのスピーチが、その初めのようです。

□韓鶴子:それでは天は独り子だけを創造してこられたのですか?独り娘を創造してこられました。独り子が誕生されて、復帰摂理は、独り娘と共に成されなければならなかったのですが、それが成しえませんでした。それで、イエス・キリストは亡くなられるときに、「また来る」と言われたのです。独り子の基台は生きているのです。

それでは、天の摂理歴史、キリスト教の二千年の摂理歴史とは何でしょうか?(キリスト教は)新婦を探してきた宗教です。それが分からなければなりません。(2014.6.14「世界家庭」2014.8/P.5)

血統転換母胎から02

■そして、2014年7月1日の無原罪誕生宣言が出てきます。

□韓鶴子:既成のキリスト教徒たちは雲に乗って来る再臨メシヤを待ちましたが、新イエス教、金聖道、許浩彬は肉体を持って来られるメシヤを待ちました。そして準備しました。そこに新イエス教会の李浩彬牧師の主礼で、私が誕生した歴史があります。血統転換、私は母胎からです。皆様がこれを信じなければなりません。

■2016年12月25日、韓鶴子は天正宮で以下のように語りました。

□韓鶴子:私は腹中から3代一人娘の母系として血統転換し、原罪を清算して純血で誕生した独生女だ。ところがお父様は原罪を持って生まれた。私は一人娘として生まれたが、お父様には複数の兄弟がいる。お父様が原罪なく生まれたなら、その兄弟たちも原罪がないという話になる。したがってお父様は原罪なく生まれたのではないということだ。(2016.12.25「統一教会の経典の秘密」P.9)

■韓鶴子が自分が無原罪であり、お父様が有原罪であると考える根拠として、自分は独り娘であるが、お父様には兄弟が何人もいると語りました。ここにも、洪順愛大母はマリヤのような失敗をしなかった、しかし忠母様は子供をたくさんつくって失敗しているではないかという韓鶴子の考えがあります。

自分が無原罪の生まれであるという思い込みは、自分こそがメシヤであるという思い込みと表裏一体をなしています。韓鶴子が、キリスト教二千年の歴史は、イエス様がまた来て子羊の婚宴をされると言われた、その独り娘を探す歴史であったと、何度も同じことを語り続けたその真意は、キリスト教が二千年待ち望んできたメシヤとは、独り娘の自分であるということなのです。


□韓鶴子:この世のキリスト教徒たちは雲に乗って来るメシヤを待ちますが、韓国のこの神霊な団体はどの国よりも強烈な神霊と真理で肉身をもって来られるメシヤを待ちます。それで1943年に独り娘が誕生しました。奇跡のような出来事です。(2019.4.20「世界家庭」2019.6/P.6)

□韓鶴子:雲に乗ってくるメシヤよりも、肉身をまとって独り子イエス・キリストのように誕生される独り娘に出会わなければならないのです。(2019.6.23ラスベガス大会祝勝会)

■ですから上のような言葉が出てきました。韓鶴子にとってクリスチャンが持ち望んでいる再臨主とは、お父様なのではありません。また男のメシヤでもありません。女のメシヤなのです。(→参照No.316No.322

方相逸は韓鶴子のその思い込みを十分に知っていたので、その思い込み通りのことを言って、韓鶴子を持ち上げたのです。私たちは今ごろになって、ようやくその思い込みに気がつき、驚くのです。


(11)正しい道に戻るとき

■韓鶴子を独生女と呼んでも問題ありません。独生女という言葉を問題にしているのではありません。独生女が無原罪誕生であると主張することが問題なのです。韓鶴子は無原罪誕生ではありません。

太田朝久講師は韓鶴子が堕落世界から復帰されたということをきちんと講義しています。まして、韓鶴子が雲に乗って来ると聖書に予言されているメシヤであるというのは、絶対にあり得ないことです。

家庭連合の皆様、韓鶴子がイエス様のようなメシヤですか?クリスチャンたちは天の雲に乗って来られるメシヤを待ち焦がれていますが、その来られるメシヤが韓鶴子なのですか?クリスチャンたちが待望したメシヤが韓鶴子だという方相逸の言葉は正しいのですか?

眞聖徳皇帝韓鶴子

■方相逸が語ったように白を黒と言われても、そのごとくに信じるのですか?「これには何か理由がある」として受け入れるのですか?おかしなことを教える責任者にどこまでついて行くのですか?

家庭連合の皆様は、おかしな道に迷い込んではいませんか?山の中を歩いているときに、道に迷ったと思ったら、そこで歩みを止めるでしょう。もうそろそろ立ち止まって、正しい道に戻るときではないですか?

2020年8月「七一節과 七八節 記念行事」24分要約 動映像

 


2020年8月💐七一節과 七八節 記念行事24分要約 動映像

(韓國語音聲+日本語字幕)

https://youtu.be/90mD12p6w6g


2020年「天地人참父母任 天宙聖和八周年」 記念行事

 


💐「天地人참父母任 天宙聖和八周年 記念行事」

(韓国語音声+日本語字幕,26分)

https://youtu.be/MxH8Act5eVE


✎二代王「이 메시지를 전 축복가정한테 보내라・このメッセージを全祝福家庭に送れ」


世界の食口に送るべきビデオ3の中の1
✎트럼프 大統領을 暗殺하려고 하죠
トランプ大統領を暗殺しようとしている
(韓国語, 10分)
https://youtu.be/6-mpm3KprBo

世界の食口に送るべきビデオ3の中の2
✎鐵杖(てつじょう)祝祭は戦争の場
(韓国語, 7分半)
https://youtu.be/Et-S7xYSlu8

世界の食口に送るべきビデオ3の中の3
✎このメッセージを全祝福家庭に送れ
(韓国語, 8分)
https://youtu.be/rA17J6LIObU








💒二代王任 祝禱「사탄 世界가 부러워할 수 있는 夫婦」





時:2020年7月25日
場:文信萬任・陳東姫任祝福式
所:Camp Freedom

●メシア文鮮明先生はユダヤの血統か

2020年5月

このページはキムフジオの主観です。

■メシア文鮮明先生はユダヤの血統か

●六マリア

六マリアの話をしながら、(二代王とか牧会者が)、イエスの家系とか種とかの話をされていますが、それを強調すればするほど、「じゃあ、文鮮明先生は、イエスの家系とつながっているのか」という事をはっきりさせなければなりません。(フジオの個人的考えです)。

その事については、二代王は言及されていないし、牧会者達も言及されていないのです。また、私はそれは不思議な事だと思います。

私が思うに、牧会者が、「イエスがユダヤの血統である」という話をしたら、ついでに、「文鮮明先生はあれこれの理由でユダヤの血統です」と言うとか、あるいは、「ただし、メシア文鮮明先生は、そのユダヤの血統とは関係ありません」とついでに言うべきものじゃないかと思っています。それが血統を強調する牧会者の信者に対する責任とか礼儀のようなものじゃないかと私は思うのです。(そう思うのは私一人ですが)。

澤田さんのように、「文鮮明先生は原罪があるのかないのか、はっきりせよ」と主張している人に、私は、「なぜ文鮮明先生は原罪がないのか」聞いてみたいです。予想される答えとしては、「統一原理を著されたから」か、あるいは、「柳寛順(유관순) が愛国の為、殺されたので、神の国が立てられる条件になった」という事でしょう。前者は原理講論の總序の最後にもありますが、後者は、原理講論にはそんな記述はなく、原理本体論にもありません。

「原理本体論というのは血統の重要性を強調しているのだ」と原理を良く知っている方達から聞かされるのでですが、私には何か重要なところが抜けていると思っていたのですが、それは何か考えてみると、文鮮明先生が原罪がないという事が証明されずに、血統が重要だと言っている事じゃないでしょうか。(2020年のペンシルベニアでの原理本體論講義において、初めて劉正玉会長がその件について講義されました。文潤國(ムンユングク)ハラボジの愛国犠牲によって神の国としての條件が立ったということでした。)

つまり、イエスのメシア性=無原罪については、聖書と蕩減復帰原理によって、説明できます。しかし、文鮮明先生の無原罪性について、文書で論理的にはっきりと説明されていません。

また、信者の中に、「文鮮明先生はメシアだから、イエスと同じユダヤの血統か?」という疑問を持つ人がいない(ような)ので、それも私が考えるにおかしい(疑問を持たない事がおかしい)と思います。

ある人は、「失われた部族のうちの一つが韓国、日本に来ている」と主張する人がいます。その人はその主張をする事により、文先生の血統と関係づけようとしているんじゃないかと思います。つまり、その人は、「文先生の家系はイエスと同じユダヤの血統である」と言いたいんじゃないかと思っています。

ある人は、イスラエルの幕屋と日本の神社の類似性のついての話をしながら、「失われたイスラエル部族のうちのある部族が韓国や日本につながっているので、文先生もその家系を受け継いでいる」と主張されておる方がおられるようです。「だから文先生はユダヤと血統が繋がれている」とおっしゃりたいのかなと思います。(私はそれについて肯定とか否定とかしたいのではありません)。

普通、原理講師は、「文鮮明先生は、統一原理という天の秘密を明らかにされたので、メシアである」と確信し、「統一原理を発見されたゆえにメシアである」と受講者達に主張しておられます。特に3日修錬会まではそういう説明です。

私はその言い方は説得力があると思っています。ただし、それが正しいなら、文鮮明先生がユダヤの血統とは関係なくてもいいわけです。しかし、ついでにそんな人(講師)が、日本の神社にユダヤの祭りの痕跡があるという話をする事があるので、受講者は文鮮明先生の無原罪性の理由について混乱するのです。つまり、文先生が原理を発見したからメシアなのか、ユダヤの血統だからメシアなのか、あるいは両方なのか…ということです。

私は、呉澤龍(オテギョン)教授からそれ(文先生がなぜメシアか)に関する講義を直接聞いています。呉澤龍(オテギョン)教授の講義ビデオもあります、韓国語ですが。

呉澤龍教授の結論は、
「ユダヤの血統と文先生がつながる必要はまったくない」
「血統摂理はイエスで終わった」という事でした。

これは、御父様が食口に対して御言葉の途中に何か質問があるかと言われた時に、呉澤龍教授が御父様に、「あなたがメシアであるという理由は何か」と聞かれた時の御父様の言葉だそうです。呉澤龍教授がその質問をした時には、御父様は大変、怒られたということでしたが、だいぶたって御父様がこの答え「血統摂理はイエスで終わった」と言われたということです。

「血統摂理はイエスで終わった」と言いながら、アボニムや二代王は血統の話をします。これは、「人類の父母としてのメシアの血統摂理はイエスでいったん終わった」という意味でしょう。そして、文先生を出発点として、血統摂理が文亨進二代王、文信俊三代王と続いていく血統摂理が再び始まったとすれば大変すっきりします。

しかし、なぜその事を平信徒の私が言わなければならないのでしょうか。二代王や原理講師と呼ばれる人達の口から聴きたいものです。

●救いには再臨メシアの遺伝子も必要

私達はサタンと血統がつながってしまっています。しかし、同時に、私達はアボジの血統ともわずかつながっている必要があるようです。それは、「異邦人が信仰でメシアにつながっている」というのではなく、遺伝子にアボジと共通のものがあるという意味でつながっている必要があるようです。それが蒙古斑点の御言葉です。二代王は蒙古斑天について言われませんが、御父様は2005頃、蒙古斑天について言われ始め、あげくのはてには、蒙古斑点聯合大会を何回か開かれ宣布されました。「人類の80%は蒙古斑点があり、血統でつながれている」ということを言われたかったようです。

蒙古斑点聯合に関する2006年の大会で御父様が読まれた御言葉です。

「蒙古斑同族連合」は、今、使命が明確になりました。「天宙平和連合」を縦的なアベルとし、そして世界の宗教圏と国家圏を横的なアベルとして侍り、カイン的立場に立ち、この地に平和理想世界王国を創建する主役にならなければなりません。「天宙平和連合」創設事業として推進されている「ベーリング海峡トンネル・プロジェクト」にも、皆様の積極的な参与があることを願います。このプロジェクトの完成によって、人類は一つの家族となり、戦争のない永遠の平和を謳歌する平和理想世界の創建を早めるようになるでしょう。

皆様全員、蕩減復帰を勝利した、全人類の平和の王である神様を、真の父母として侍って暮らす、真の王子、王女になってください。真の父母様の祝福結婚を受けて血統転換を完成し、「蒙古斑同族連合」を「蒙古斑血族連合」に還元させましょう。これが正に皆様に下された天命であることを肝に銘じ、天宙平和統一王国創建の真なる主人になりましょう。

つまり、短く分かりやすくすれば、

「蒙古斑同族連合」、つまり、生まれた時にお尻が青い人達は、「平和理想世界王国を創建する主役」であり、「真の王子、王女になって血統転換を完成し」、「天一国の主人になりましょう」という事になります。

…という事だから、二代王が、「蒙古斑」について全然言及しない事が不思議と私は一人で考えるのです。アボニムも晩年はまったく言われませんでしたが。


天寶會(てんぽうかい)


このページはすべて下記サイトからの引用です。
www.tenpokai.org

天宝会/祝福家庭障害児者親の会

 「天宝会」は文亨進様がフルーツバスケットにつけてくださった名前です。
亨進様はFBコリアに「フルーツバスケットという名は英語圏から見るとよくない意味もあるので変えたらいいですね」とおっしゃられたので「是非、新しい名前を命名していただけますか」とお願いしましたところ、このたび揮毫をしてくださいました。

 日本では「テンポウカイ」、韓国では「チョン(天)ボ(宝)フェ(会)」と呼びます。天の宝物として真の愛で包んでくださった、文亨進様・李妍雅様ご夫妻の深い心情にあふれた言葉をいただき本当に感謝いたします。

文亨進様・李妍雅様のみ言より

 ◎神様は私達各自に対して特別な計画があります。それは人生の祝福と連結されています。しかし、残念な事にそれを悟れない場合があります。多くの人々は人生に対するありがたみを知りません。それで、愛する人々に傷を与えたりもします。

 ◎特に天宝会の子供達を見る時、私達の人生の尊さを振り返る事ができます。当然だと思っていた事に対して感謝できる心を学びます。そんな貴重な悟りを与えるのは誰でもできる事ではありません。

 ◎皆さんの子供達は他の人に対して天の宝石を発見させる様にします。皆さんは天の宝石に侍るのです。それで「天宝会」という名前をつける事になりました。

 ◎母親の立場で健康でない子供を毎日面倒見るのは、難しいし大変だと思います。しかし皆さんの子女達は、とても特別な能力を持っています。皆さんがそれを悟れないとしてもそれは事実です。なぜなら、神様はすでに能力を下さったからです。

 ◎天宝会の子供達は家族と周りの人に、人生に対して感謝できる心を持たせるでしょう。特に、兄弟達はもっと成熟した心を持つでしょう。勿論、否定的な観点で人生が不公平だと考えることもできます。しかし、私達はもっと肯定的な心を選択することができます。

 ◎私達に与えられた生と命が当然ではないと言う事を悟らなければなりません。私もヨンジン兄さんの昇華を通してそれを発見できたので、宗教の道を行く様になりました。私の人生が変わったのです。

 ◎そんな意味で天宝会の子供達は、特別なメッセージを伝える牧師だと思います。牧師の使命は人生の尊さを知らせる事です。事実、どんな牧師もこの使命を簡単に成就できません。人生の尊さを悟らせるというのは、創造主の神様を証す ることです。天宝会の子供達は、人々に天の宝を発見させます。言い換えれば、見えない牧会をしているのです。

 ◎健康じゃない(障害児)子供達を見ながら、決してその子供達が永遠にそのように生きるとは思いません。神様が天宝 会の子供達に下さった特別な意味が地上だけでなく、天上でも輝くことでしょう。

 ***

 李妍雅様のみ言

 2010年11月27日、韓国ソウルにおいて、韓国天寶会(チョンボヘ)の定期総会が開かれました。総会議事に続いて、第二部に特別ゲストとしてお迎えした李妍雅(ヨナ)様のみ言をご紹介します。

 天宝会の会員の皆さん、こんにちは。食口の皆さん、こんにちは。資格もない私がこのようにこの場に立つようになり、本当に申し訳なく、そして栄光に思います。今日は天気が、雨がたくさん降って、ここに来るのも大変だったでしょう。でも、このように皆さんが集まって、天宝会の会合を開けるようになり、本当に嬉しく思います。

社団法人・多文化センターで、江利川会長が天宝会の総会が今度あるので来てくれませんかと言われて、本当はとても躊躇しました。事実、私は本当に資格がないと思ったのですが…。韓国天宝会の初代会長の西海さんが、天宝会の総会で、天宝会の会員の兄弟たちをどのように育てればいいかについて、助言してくださいませんかと言われたので、勇気を出してやってきました。

私がこれからお話しする多くは、客観的なことというよりは、主観的なことが多くあります。私がどのように経験し、どのように感じたかという。ご存じと思いますが、私の弟は知的障害があります。約5、6歳の知的障害を持っています。そのため、その弟の姉の立場で、兄弟の立場で、食口の皆さんに少しでも役立てばと思います。

一般的に、私は障害児童という表現を使いますが、その表現が少し気に入らないとか、他にもっといい表現があれば、推薦してくれませんか。(反応なし)それでは、いったんそのように表現することにします。

 障害児童をもつ兄弟は、とても早く成熟するように思います。また、心情が非常に深く、他の人に対する配慮が身についています。なぜかというと、そんな兄弟がいるので、面倒を見てあげないといけないということが強い、何というか、責任感が強く、独立性も非常に強い。なぜかというと、両親が自分にしてくれることは多くないということを知っているので、幼い時から自分のことは自分がしなければならないということが強いので、独立性が非常に強いのです。それから、いつか両親が亡くなれば、私がこの障害をもった兄弟の責任をもたなければならないかもしれないという思いがあるので、責任性が非常に強いのです。

外にはそのように表出するのですが、内ではまだ幼く、まだ育つ過程なので、そのように忍耐し、外見では非常に責任感があり、独立性があるように見えるので、「ああ、この子は早熟だ」と人々は言いますが、内では愛を受けたいという欲望が非常に強いのです、こんな子供たちは。私もそうでした。

それで、ある面では、私が受けるべき愛なのに、兄弟が障害があるという理由だけで両親の愛を全部取ってしまう、そのように考えるので、ある面では嫉妬心もあり、ある面では憎しみもあり、あなたのために私の家庭はこんなに苦しいんだという憎しみもあり。そうでありながら、同じ瞬間に、与えてあげなければならないし、私が持っている物を分けてあげないといけないし、そんな心…。このように二種類の、融和されない二つの心が常に衝突します、自分の心の中で。幼い年で、未成年者の立場でそれに耐えるのは、本当に大変です。

人々は私に愛しなさいというけれど、私の心の中に(障害を持つ)兄弟に対する憎しみがあるので、それが大きな罪意識として現われ、それが表出できない、そんな形態をもつようになるように思います。私が振り返ってみると。

そんな兄弟たちに、両親がやってあげられることは、実際、多くあります。私が今日、兄弟たちが感じること、どう育てれば良いのか、ゆっくり考えてみながら、両親がやってあげられることを5つにまとめてみました。

 第一は、両親が障害児童について、天宝会の会員の子供に対して、両親のせいにしないことが非常に重要だと思います。

 父母たちはよくこんなことを言うじゃないですか。子供がこんなに障害をもって生まれたのは私のカルマ(業)だ、私の業報だ、こんな話をよくされるようです。そうでなければ、先祖に罪があって子供がこんなふうに生まれた。また、争ったりもされますね。あなた側の先祖に問題があるとか、いや、そうじゃない、日本の国がこうだから…、などと言われますが、そんな話をすることは子供が大きく傷つきます。

なぜかと言えば、私にもそんな血統があるので、私にもそんな罪が連結するかもしれないなと心理的に考えるので、父母がこんな話を子供たちの前でしないことがとても重要です。そのように血統があるので、子供たちは非常に恐ろしく思うし、自信をなくします。それじゃあ、私は根本的に何か欠陥があるのかと、我知らず考えるようになるので、そんな話を本当にしないことが、第一に重要です。

 それから、兄弟に障害児童がいることを恥ずかしく思わないよう教育をしなければなりません。

 私の弟の場合は、5歳ぐらいの知的水準があって、今、27歳ぐらいになりました。私より5歳年下なので。

ところで、私の弟はそんなにひどくはありません。今、肢体(障害)2級を受けています。1級がいちばん深刻ですが、2級を受けていて、独りで挙動することができ、言葉も話せて、本を読むこともでき、足し算引き算をすることもできます。ですから、そんなにひどい状態ではありません。ところが、私の知っている祝福家庭の中で、どんな家庭がいたかというと、この子の場合は肢体障害児童でしたが、もちろん、歩くことはできましたが、ろくに話すことができず、いつも横に小便を入れる缶をさげていました。腎臓に問題があったので、正常に小便ができないので、いつも缶をさげていました。夏になると、その子が来るととても臭いのです。いつも小便缶をさげて歩かないといけないので、とても臭いので他の子供たちも近寄らないし、はげしくからかったりしました。

客観的に見ると、私の弟の状況とその子の状況は、私の弟がはるかにいい状況でした。ところが、小便缶を下げて歩いていた子供のお母さんは、その兄弟たちにこのように教えました。「弟について、絶対に恥ずかしいと思ってはいけません。弟がいるから、あなたたちがいるのです。弟を通して、あなたたちがどれだけ多くのことを学んだか。他の人に配慮することを学んだし、お父さんとお母さんもこの子を通してもっといい人間になった。愛することができる人間になった」。このように教えたと言います。

ところで、私の両親はこんなことは言いませんでした。こんな話をしなければ、こんな教育をしなければ、恥ずかしく思いなさいと言うのと同じことになります。なぜかというと、子供たちはどのように考えるか分かりません、このような状況に対して。父母が与える額縁(フレーム)を通して、自分の弟をどう見ればいいのか、自分の兄弟をどう見ればいいのか考えるので、この子を恥ずかしく思ってはいけない。あなたの兄弟だ。私たちに神様が下さった、本当に亨進様が与えてくださった名前のように、天の宝物なんだ。私たちの家庭に対して天が下さったプレゼントだとお母さんは思うよ、お父さんは思うよ。

このように子供たちに教育しなければいけません。ですから、その子の状態がどうなのか、どれだけ悪いか、悪くないか、そんなことを離れて、父母がそのことを子供たちに教育することが非常に重要だと思います。

 一例を挙げると、ある教授夫妻がいます。恐らく、私が名前を言うと皆さんが知っている教授夫妻です。その方に8歳の子供がいます。その子に肢体障害があります。私も本当に知りませんでした。その方は本当に華々しく活躍していて、いつも明るいので、そんな子供がいると知りませんでした。

ところで、家庭訪問すると、その子供を座らせて、私の息子で…と説明してくれました。私が、こう言いました。「どれほど大変でしょうか。どうして、こんな状況なのに明るくしておられるのでしょうか。本当に知りませんでした」と話すと、その方は、こう言いました。「私はこの子を通して、傲慢でなくなりました」。こう言ったのです。「自分は全て持っていると思っていました」と話すのです。自分はたくさん教育を受けて、いい仕事もあって収入もよくて、全てあるので、世の中を当然のように考えていたのに、この子を通して私は傲慢にならないことを学んだ、と話されるのです。私がその話を聞きながら、本当に神様は試練の中でもこのように祝福をくださるのだなあと、本当に感動深く感じたことを覚えています。

 三番目は、障害児童の兄弟たちに、「あなたは本当に大切な(貴重な)子供だ。お父さん、お母さんはあなたを大切に思っている」ということを、機会がある時に、言ってあげなければなりません。

 なぜかというと、父母は本当に余裕がないじゃないですか。障害児童の世話をするために本当に余裕がないので、余裕がなくて愛してあげられないのに、子供たちの立場では愛されなかったので、「ああ、お母さんは私を愛していないので、愛してくれないんだ」と考えるようになります。ですから、あなたが本当に大切だと話してあげなければなりません。

亨進様は子供たちと1対1、子供を抱いてあげなさいという話を聞いたと思います。ある場合には、障害児童が家にいると、その子供を置いて行けない状況もあるじゃないですか。そういう時は創意力を発揮してもいいと思います。1週間に1度、日を決めて、その子供が食べたい食事を家で作って、それを与えながら、「これはあなたの日だ」と、そうしてもいいと思います。それから、1000ウォンぐらいあげて、「これで好きなものを買って食べなさい」と。このように1カ月に1度、そのように日を決めて、1週間に1度は多過ぎますね、1カ月に1度、その子供のために(何か)してあげたらいいと思います。兄弟が3人なら、毎月1人ずつ回りながら、そうしてもあげてもいいですね。そういう風に少し創意力を発揮して、子供たちに一人ひとりの子供の日を作ってあげる、その子供が大切で、お母さんにとって特別だ、その話、それを表現すること、話してあげることが非常に重要だと思います。

それから、ある子供の日になった時、母親の心をその子供に話してあげるといいようです。お母さんが何々のことで苦しい、だから何々のことであなたがお母さんのために祈祷してくれたらいいな。お母さんが今日、総会に行くのだけど、お母さんがうまく話せるように祈祷してくれたらいいな。このように、その子に頼むことは本当にいいと思います。自分はまだ幼くて何もできないけど、お母さんのためにできることもあるんだ、私が力を与えることができるんだ、そんなことを子供たちが感じることができるし、お母さんにとって私は大切なんだ、私がお手伝いできる存在なんだ、そんなことを感じられるようになります。

 それから四番目は、祝福というものを念頭において、「あなたを愛してくれる人が必ずいるよ」と話してあげることが重要だと思います。

 私たち統一教会員はみんな祝福を受けますが、今日も見たように天宝会の会員たちも祝福を受ける姿を見ましたが、障害児童の兄弟たちは自分たちは障害がないのに不安(恐れ)があります。私のような人間と誰が祝福を受けたいと思うだろうか、そんな思いがあります。

だから、「あなたを愛してくれる人は必ずいるよ」、「あなたを理解して受け入れてくれる人が必ずいるよ」という、そんな話を子供たちにしてあげることはとても重要です。でなければ 子供たちは祝福を受ける前にとても不安に感じ、私を受け入れてくれる人がいないので、私は理想家庭を実現できない、私は四位基台を成せない、そんな漠然とした不安感が子供たちに生まれます。

そうだとすれば、私の話をしてあげることもいいと思います。ヨナ様は障害をもった弟がいたけど、父母様の家庭に入って立派にやっているじゃないの。亨進様のように、あなたを心から愛してくれ(る人がい)て、あなたは立派に四位基台を成すことができるよ、それは真の父母様があなたに願われていることよ、と教えて、話してあげる。幼い頃から話してあげることがとても重要だと思います。そうすれば、子供たちは漠然とした不安感がなくなります。

 それから五番目は、子供たちが善良なことを当然と考えてはいけないということを、私がしっかりお願いしたいと思います。

 子供たちは、さっきお話したように憎しみ、嫉妬、愛、同情などとても多くの感情が交じっていますが、私たちは生活の中で見ると、この子はいい子だ、言うことをよく聞く子だ、このように考えやすいのです。なぜかというと、障害児童の面倒をみることが非常に大変なので、あるいは、そうなるのが自然なのかもしれません。

また、ある時は、とても腹が立つ場合があるでしょう。私も思い返すと、「お母さんはどうしてそんなに極端な表現を使うのだろうか」、「もう少し理解して受け入れてくれればいいのに、どうしてそうできないのだろうか」、そんな思いがする時がありました。幼かった時は。ところが、いま考えると、私が子供を生んで育ててみて、それもあり得るなと思います。私はこんな平凡な子供を育てるのも大変なのに、(障害をもった)弟を育てながら、どれほど多くのストレスと、どれほど多くの心痛があっただろうかと思うと、すべて理解できます。しかし、成長期には、お母さんがそんなに私に対して腹を立て、ストレスを受ける姿を理解できません。単に、お母さんは私が嫌いだからそうなんだと考えやすいのです。

ですから、天宝会の会員のお母さん方も、人間なので腹が立つ時があるはずです。そういう時、腹が立っていても、腹が立った(怒った)後、それが少し鎮まった時に、「お母さんは、こんなことで腹が立っていたの。あなたのせいじゃなかったの」。このように、そんなことが起こった時には、子供たちに「ごめんなさい」と言ってあげて、さらに、「これこれで、あなたが手伝ってくれて、本当にありがとう」と話してあげることが、障害児童の兄弟たちのアイデンティティー発達のために非常に大切だと思います。自分を大切に思うために、非常に重要だと思います。

 私が立場もわきまえず、主観的な考えを列挙しましたが、私も見ながら、如何なる場合にも私たちを放棄しない真の父母様の姿を目の当たりにしています。それから、復帰摂理を導きながら、人間たちを何度も何度も放棄しうる状況でも、私たちをずっとつかんで放さず、復帰摂理をずっと導きながら中心人物を立てられる神様の復帰摂理路程も目の当たりにするようになります。

そうです。私は、ここに来ながら誓ったことがあります。私は、天宝会の会員の皆さんを見ながら、実際に私の母のようだと思いがします。それから、どんな考えをもっているのか、私は心情で感じられます。私が一つ考えたことは、ここに来て絶対に泣くのじゃない、そんなことを誓ってきました。なぜかと言えば、今は一緒に泣いて同情するのでなく、どのように勝利して、どのようにしてここで私たちの子供をもっと立派に育てられるか、それをここで論議する場所なので、そうしたくないと誓いながら来ました。

 聖書でも、天国に入る人は本当に、幼子のように純粋でなければならない、こんなみ言があります。ところで、天宝会の子供たちを見ると、本当に幼子のように純粋じゃないですか。私の弟を見ても、本当に幼子のように純粋です。ある意味では、どんなに幸福だろうか、太平だろうか。そんな考えももつようになるのですが、そのように考えると、本当に天国に近い子供は、私でなく私の弟だなあ、こんなに考えたりもしてみます。そうして、このようにできるのも、この子供のためには幸せかもしれないな、と考えてみたりもします。

もちろん天宝会の子供たちは育てるのが難しく、他の子供たちと違いますが、その子供たちは私たちの二世で、とても大切な子供だということ、また、真の父母様の前に大切な子供であることは変わらないと思います。ですから、私たちみんな力を合わせて、本当に大切な二世として育てられるように共に努力しましょう。

 ***

 文亨進様ご夫妻FBコリア定期総会でのみ言
2008年10月25日 韓国本部教会
今日は私の牧師様がみ言葉を語ってくださいます。
皆さん、大きな拍手をお願いします。

 ヨナ様のみ言葉

 私が話すということを亨進様は30秒前に話されたので、私がどこから、何の話をしたらいいか... 食口の方は大部分がご存知だと思いますが、私には障害のある弟がいます。皆さんご存じでしょう? フル-ツバスケットの皆さんを見ていると、私の身内のようで、本当に他人のようではありません。考えようによっては、私のお母さんのようでもあり、また2世たちを見ると、私の兄弟姉妹のようだとも感じられます。

 1ヶ月ほどになりますか? フル-ツバスケットのお母さんと2世たちが来てくださった時、このように考えました。私がこの方たちに何をしてあげられるか?私がして差し上げられることは、一緒に泣いてあげることではないと思いました。一緒に泣くことより、これからもっと良い方向を模索し、どのようにして助けてあげたらいいのかと考えていくことが、フル-ツバスケットの方々の為になることではないかと思います。

 心情的にとても近く感じられますし、個人的に会長さんとも会ってみましたが…協会としては、微力で力になっていないというのが現実です。 この部分が、もっと開発できるようにいつも念頭において、いつかは2世の為の施設が出来ることを私も期待しています。食口の皆さん感謝です。歓迎します。

 亨進様のみ言葉

 私の夫人のみ言葉はすばらしいです。私の夫人は、私の牧師様です。お父様が祝司任(チュクサニム)に任命してくだいました。婦人には慈悲の心があります。お母さんたちが実践する心、私たちの教会婦人たち、お母さんたちから、文化と愛と理解と慈悲の心情文化が溢れ出ているのを見ることができます。 お父さん達には、不足だとも言えますが、お母さん達の真の愛の文化を理解すること、この心情が私たちの教会には重要です。 教会でも、組織的にも女性指導者が出てきています。女性たちに大きな拍手をお願いします。今日はここに女性指導者を迎えています。これからは本当に女性時代が来ます。私たちはたくさん学ばなければなりません。お母さんたちから、学ぶことが沢山あります。家庭でお母さんが真の愛の中心であるように、教会でも同じです。

 今日、本当はどういう言葉、何を言ったらいいのか分かりません。何故かと言うと、個人の状況が分からないし、どういう障害物があるのかなど、私には正直にいって分かりません。具体的なことを知ることが出来ません。そこで私が、聞いたり、学んだ内容を皆さんと考えて行きたいと思います。

 皆さん、私はこんな言葉を聞きました。あるお母さんの言葉です。子供に障害があるお母さんです。"肉身の障害があるが、心にも障害がある。"このことはどういう意味ですか?
子供に問題があった場合に、私たちが集中しなければならないこと。父母として、特別に注意しなければならないことです。心に障害が生じることに注意しなければなりません。子供を見ながら、私自身を見て、私は本当に罪人だ。私がたくさん悪いことをしたから、子供がこのようになった。私の父母、祖先たちがとても悪いことをたくさんしたから、子供がこのようになった。私が悪い人間だったから、子供がこのようになった。このように(否定的に)思うことが、まさに心の障害です。私たち自身を見るとき、絶対にこのように見てはいけません。このように考えると子供たちは、祝福の生活を生きることが出来ません。 皆さんも、祝福となる生活を生きることが出来なくなります。必ず、こんな(否定的)考えから開放されることを真のご父母様の名において願います。アジュ-

 こんな考えが一番問題です。私の考えが私の言葉を指導します。私の言葉が私の行動をなります。反復する考えが、反復する言葉となり、その言葉が行動となり、行動が習慣となり、習慣が人格となり、人格が人生となり、人生が運命になります。私たちは、自身を見るとき絶対に"私は悪い人間だ。私は罪人だ。私は悪い家庭から生まれた。"などと思ってはいけません。 真のご父母様の心情、神様の目からこの子供たちを見て愛しているという、こういう考えが重要です。神様は、愛する子の母として、私を愛してくれる。このような言葉を毎朝、いわなけれななりません。

毎日、私は誇れる母だ。私はすばらしい母だ。私はすばらしい人だ。私は祝福を受ける人だ。私の生活は奇跡だ。など皆さん自身に言わなければなりません。これは皆さん自身だけのためではありません。子供たちのためでもあります。 子供たちのことを思い、愛しているならば、私たちは自分を見る目が明るくなり、希望に満ち、愛に満ちていなければなりません。このような心を育てなければなりません。

 皆さん、こんなことを聞いたことがあります。ある教師から聞いたことです。雁を知っていますね。雁はV字を書いて飛び、数千マイルをも行くことが出来ます。グル-プを作って舞い飛びます。そこでこんな研究があったそうです。科学者たちが雁の音声の研究をしたというのです。お腹がすいた時はこんな声を出す。家に帰りたいときはこんな声を出す。何かを願う時の雁たちの言葉があるというのです。 雁たちが飛ぶとき、その音声を研究すると、1分間に数10回以上、鳴きながら飛ぶというのです。どんな声を出していたでしょうか?分かりますか?お腹がすいた。家に帰りたいということではなかったというのです。雁たちが1分間に数10回以上、どんなことを言っていたと思いますか?ファイティング!(頑張れ)このように言っていました。雁たちの為に大きな拍手をしてあげてください。皆さんびっくりしました。雁たちは人間よりもましですね。私は出来ない。私はこのようには生きられない。私は希望がない。こんな考えは雁のようでなく、オムツ(韓国語でおむつをキジョギと言い、雁をキロギと言うので駄洒落を話されました)です。こんなものは捨てなければなりません。

 科学者たちがこのように言いました。1分間に数10回以上もファイティングと言っていると。この言葉の意味はなんでしょう?激励の意味ですね。激励すること。お互いに、私はすばらしい母だというのです。ご婦人が大変な時に、自身で、私は子供たちにとって悪い母だとか言ったり、兄弟にとって、私は悪い姉だと言ったりする時に、絶対そのように言ってはだめだ。婦人はすばらしい婦人だ。すばらしい姉だ。すばらしい母だ。などと私たちはこのような目で見なければなりません。お互いにお互いをこの雁のように励ましあうことです。心の底で考えているだけではなく、雁のように叫ばなくてはいけません 。
お互い同士、力をあげあうのです。このようにすることです。私たちは、一緒に生きていくのですし、前進して行かなければなりませんから、天一国の道を進むとき、私たちはお互いに"私たちは本当に罪深い人だ。こんな状況を続けていくだろう"などというのは、お互いを励ますことではありません。 私たちは出来る。私は生まれついた人生を生きることができる。私はすばらしい母、父になれる。すばらしい兄弟になれる。私は驚くような子女になれる。このように自身を見れるようになることです。

 先ほどのお母さんの言った事ですが。自分の子に肉身的障害があったのですが、自分が母としての過去を考えた時に、私には心の障害があったということです。子供を見ながら、自殺したいといつも思っていたということです。でも、困難を越えたとき、障害は単に肉身の障害があるだけではなく、心持ち方で心の障害にもなるということに気が付いたということです。このお母さんがいう言葉、その知恵がフル-ツバスケットのお母さんたちだけに必要なことではなく、すべての人たちが記憶すべき必要がある言葉です。私たちは必ず成功します。子供たちを光り輝かせてみせます。このことを信じてください。アジュー

 日本に行ったとき、雁の話をしました。また私たちは朝、子供を見て3つの長所を捜すということをしています。私たちは、探すもの(望むもの)を発見するようになっています。この部屋の中で、青いシャツを着ている人を探してください。1、2、3、終わりです。青いシャツの人を探しましたか?どこにいますか?これはどういうことですか? 私たちは、望むものを発見します。この部屋にピンクのネクタイをしている人もいますし、白いシャツ、黒いシャツを着ている人もいますが、皆さんの目には、入ってきませんね。何が入ってきましたか?青い色しか入ってこなかったでしょう。そうでしょう。私たちは、自分が探すものを発見します。このことは、すごく大切なことです。女性の方たち!鏡でも、顔を拡大してみるものがあるでしょう。どうして、そのような鏡を買うのか分かりません、男性として理解できません。鏡を見ながら、しわを見つけたという。そんな鏡で見たら、必ずしわを発見します。そんな鏡を使わないでください。探すもの(望むもの)を発見するようになっています。しわがここにもある、あそこにも…このことは望まないことを発見することです。注意しなければなりません。人生を生きながら、子供を見る時、主人を見る時、家庭を見る時、あまりにも良くないことで呪いを受けたという、そのような目で見ると、本当に呪いを受けた内容を探すことになります。青いシャツのように、しわのように、拡大してみる鏡をみるのと同じことになります。これでは希望がありません。失敗することになります。放棄した足跡を残すことになります。このように生きてはいけません。真のご父母様が祝福の人生を祝福してくださいました。このことはどういう意味ですか。私たちの運命を開いてくださったということです。私たちが自身でどういうものを探すかということで発見する内容が違ってきます。私が家族の者たちを見るとき、また私自身を見るとき、長所を見つけることです。たとえば、ここにいらっしゃるお母さんたちに、50名の短所を探してみてくださいと言ったら、すぐに書くでしょう。私は、子供にこのようにしてあげられないとか、私はすぐ怒るとか。数千箇所でも出てくるでしょう。なのに、長所を書いてくださいといったら、3、4個、或は12個でも大変なことでしょう。このようではだめです。変えなければなりません。私たちは祝福の生活を生きて、他の人にも祝福したければ、私たちから祝福があふれるようでなければなりません。私たちからどんどん多くの祝福が出てこなければなりません。どこから始まりですか?私たちの心から始まるのです。お互いを見るとき、家庭を見るとき、友だちを見るとき、新しい習慣を持たなければなりません。お互い長所を発見しなければなりません。そうするとおかしいことに長所を発見できます。青いシャツのように祝福の内容を探すことになります。同じ状況だとしても、目の前にある内容が天国となり、祝福になる。これがイエス様のみ言葉です。天国が来たとしても、ある本のように、天国が来たというようには来ないということ。天国はまさに私の心にいるという言葉です。心を見る勝利者、祝福の姿になることで、子供たちが祝福された人生を生きることができます。それでも、私の子供はこうなのに祝福された人生を生きることができるでしょうか?私の子は肉身がこんなに大変なのに、どうやって祝福の生活を生きることができますか?と思うかもしれませんね 肉身が健康でも、祝福を受けられない生活を生きる人がどんなに多いでしょう。健康な人でも、ヒットラ-のように生きる人もいます。最悪な状況に完全に溺れて生きている人たちが大部分です。肉身的に健康であるということだけが、全部ではないということです。それよりも大切で、恐ろしいことが心の障害です。そしてそれよりもっと恐ろしいことは、心の障害を持って、他人の心に障害をもたらすことです。こういう心であってはいけません。私たちは祝福家庭として、真のご父母様、神様の前に勝利者の歩みを残します。私たちは、生まれついた祝福の人生だという証拠を残します。私たちは、失敗は絶対しません。私自身を見るとき、このように見なければなりません。このような目でみることが、霊的な修練であり、真のご父母様のためになることであり、神様のためになることです。私たちが祝福の生活を生きることが、勝利者になることです。

 私たちは雁の話を聞いたので、日本に行ったときの様に、シックの方たちを修練します。雁は1分間に数10回以上ファイティングと激励します。横にいる人とペア-になって、12個の長所を言ってください。1分間の間にです。勝利しましたか?もう30秒をあげます。早くしてください。勝利しましたか?勝利したら、神様に大きな拍手をしてさしあげてください。 今まで、私が面白ろく話をしているのに、皆さんはじっとしていましたね。なのに私が、"雁になろう。お互いに励ましあって行こう"と言ったことで、聖霊が降りてきました。聖霊のために拍手!

 私たちはお互いに長所を言い合う時, 雁のようにものすごいエネルギ-がでていました。牧師様が話しするときには、静かにしていたのに、長所を話しする時には、うるさく、エネルギ-に溢れていました。まさにこれです。お互いに長所を探すエネルギ-です。これが、表現できないほどのエネルギ-になります。このエネルギ-が言葉から満ちて、心の底から切れることなく溢れてこなければなりません。自分を見て、朝、顔を洗うときに、年をとったな、10年前はこうではなかったなどと、このように生きてはいけません。勝利者の姿ではありません。私は本当にかわいいな、きれいになったな、どんどん光輝いているな、私は生まれつきのいい人生を生きているなと、このように自分を見なければなりません。祝福される人生を生きたければ、私の心から始まらなくてはなりません。あのお母さんの言葉を記憶してください。肉身の障害よりも危険なことが、心の障害だ。これよりも危険なことは、私の心の障害を通じて、他人の心に障害をもたらすこと。これに注意しなければなりません。このことを記憶してください。私たちは、祝福家庭として、どんな障害物を天使長サタンが投げつけても、私たちは、未来を見て運命を探し出して、前進し、必ず勝利者の足跡を残していきます。アジュー

 皆さんの心から染み出る音が、神様の音性にならなければなりません。皆さんの心から広がり出る祝福が、皆さんの心から始まります。祝福の人生を生きたければ、私の考えが祝福に満ち溢れて、他人の心を障害の心にしてしまうのでなく、解放の心にしてあげる。釈放された心にしてあげる。 このような祝福の人生。真のご父母様の為にこのような人にならなければなりません。ここにいる人たちは、統一家で一番の勝利者だと思います。

 こんな教育者がいました。この方は、黒人を教育しました。アメリカで当時、60年代、人たちは大変な人種差別を受けていました。 白人たちと一緒に座ったり、食べたりすることが出来ませんでした。トイレも別に使わなくてはなりませんでした。水を飲みたくても、黒人が飲むと水が汚くなるといって、別なところで飲むようになっていました。そんな時、この先生は黒人たちを教育しました。黒人たちは、学校に行きたくても行けませんでした。そんな状況の中、どうしようもないと思い、放棄して、人生流れるように行ったらいいと、考える人たちが大部分でした。それなのに、この先生はそのように考ませんでした。小さなアパートの一室で子供達を教育しました。始めは個人指導からしました。マルバ・カルリンジという、この先生が指導した子供たちが当時、100%小学校を出ました。それだけではありません。100%が中学校を卒業しました。それだけではありません。100%高校を卒業しました。それだけではありません。その子供たちが100%大学を卒業しました。この先生が指導した子供たちが100%小学校、中学校、高校、大学を卒業しました。とてつもない奇跡がどうやって出来たのか? この先生が指導した子供たちが、今は国会議員とか社長とかになっています。どうやってこのような奇跡が起きたのか?この先生に祝福の心があったからです。具体的にどのようにしたのかが知りたいでしょう。具体的に言うと、ある子供が、"私はバカです。あまりにも勉強が出来ません。やりたくありません。"と言うとき、自分のことを否定的に言うとき、先生は罰をしました。どんな罰かといえば。ABCがありますね。アルファベットを最初に書かなければいけません。ABC…y、zまで、項目ごとに自分が生まれながらに出来る力のある子であるということを書かせます。韓国語でいえば、キヨク..キガマッキン(私はとてつもない子)であるから、成功するだろう。私は驚くような子だから成功するだろう。とか、大変な能力があるから、だれよりも勉強が出来るなどと、子供たちが否定的な思いになったりする度に、心に障害が生じる度にこのような罰をしました。祝福の心をつくるという罰です。祝福の言葉を書かなければなりません。心に障害が生じる度に罰を与えました。 私たちは、どんな状況にあっても、障害の心を越えなければなりません。蕩減の心を捨てなければなりません。私はできない人だなどと言う考えを捨てなければなりません。これからは勝利者、解放、釈放圈に入った勝利者の心を持たなければなりません。

 毎日、このように心をみなさい。ご主人たち、婦人が悪いお母さんだという度に、罰を与えなさい。韓国語のカナダラで言うのです。私はとてつもなく、驚くような母の人生を生きるだろう。私は、すごい子供を産んだ。私は誰よりも、もっと大切な人だ。私はロ-マよりも大きな人だなど。理解できるでしょう? こんな罰を沢山してあげてください。こういう(祝福)心を必ず持たなければなりません。私たちは、必ず遂行しなければなりません。統一家の食口達は、否定することが好きですから、このような罰をしてください。皆さん自身にも良い罰です。カナダラ罰です。罰ですが、これは良い罰です。私が罰だと言いましたが、祝福となります。子供たちを見るとき、ご主人を見るとき、また皆さん自身もこのような目で見ることです。これは神様の目です。神様の目で、皆さん自身を発見してください。神様の子なのに、弱く、能力ないとこのように子供が口にすると、どれだけ心が痛いですか?神様も同じです。神様も私たちと同じ解放釈放時代にいらっしゃるので、神様の為にも、私は生まれつき良い人間だ。私は驚くような人だ。私は奇跡を造る人だ。このようにして行くことができたら、神様までも感動させることができます。アジュー

 すみません。私はこのような言葉を言うとき、聖霊が早く降りてきます。もともと、静かな人で瞑想を沢山したりする者ですが、こういう内容を話すときは、聖霊が早く降りてきます。聖霊に感謝します。必ず、私たち自身から始めます。祝福の生活を生きます。生きるしかありません。私たちはこんな考えを数10回、雁のように自然に言葉に出ていくようになれば、他者に祝福の心を育てることになります。他者を障害の心から解放させて、祝福と希望の心へと変えていくことになります。 こんな考えをすると行動が変わります、行動が変わると、次に習慣が変わります。習慣が変わると人生が変わります。人生が変わると運命が変わります。 神様、真のご父母様の為に、子女たち、皆さん自身の為に、後孫の為に、絶対に敗北者でなく、失敗者でない人生。誇らしい人生、驚くほどの人生を生きることを確信をもって信じます。 他人に、雁の力を与えて、雁の言葉を使うとき、神様は喜ばれます。心が喜び、家庭が喜び、他の人を喜ばせる。運命に向かって行き、鷲のように羽を広げて、永久の勝利者の人生を生きることを祝願します。

 祈祷

 愛するお父様、神様。天地天宙真父母様。私たちは、数10年間あなたに侍り、ついてきました。 蕩減の時代を過ぎ、真のご父母様に良く侍ることが出来なかった、責任を果たせないことを見たり、沢山経験してきました。 しかし、このようなとてつもない、新しい時代、環太平洋時代、解放釈放時代に韓国のすべての祝福家庭が、障害の心を捨て、他の人を感動させることができる祝福の心を学ばなければなりません。 私たちは敗北者でなく、蕩減の時代に立ち止まっている失敗者ではありません。 私達は解放釈放時代、安定の時代へと入ってきた祝福中心家庭です。あなたが6千年を待ってきた祝福家庭です。

 私達は必ず私達の価値を知り、唯一の価値、宇宙的な価値を知って、アイデンティティを知って、神様の子女だ、真の父母様の子女だ、勝利の子女である私たちの価値と目的を知って、他の人も祝福させ、あなたの愛と歴史がこの地に実践できることを信じています。

 私は必ずあなたを辱めるようなことはしません。あなたが地獄で6000年間過ごされてこられたのに、これから真のご父母様に侍り、祝福家庭を持て、世界の統一家が復活しながら、私達はあなたの驚くような愛と慈悲と生命と血統を分けることが出来る孝子、孝女の人生を生きることを祈願します。

 私は必ずあなたの為に勝利します。私の子供たちは必ず勝利するでしょう。あなたが私達の道を見てくれることでしょう。 私達は門が閉ざされたと思ったのに、私が勇気を持って行くならば、あなたが多くの門を開いて下さるでしょう。 私はこれから、新しく心の障害を捨て、お母さんが言われたように、心にある障害ほど恐ろしい物はないという内容を相続して、私達は必ず祝福を分ける人になって、祝福の希望を復活させ、他人に植え付けて、あなたの驚くような子女になります。お父様、私を使ってください。

 ここにいる祝福中心のお母さんお父さんを通して、驚くほどの役事をしてください。

 この貴重な祝福家庭を通して、多くの人を感動させ、多くの人がどんなに障害物や、サタン達が反対する生活をしてると考えているとしても、この貴重な祝福中心家庭たち、ここに集まった祝福の子女達が、お父さんお母さんを見て、私はこういうふうにに生きなければいけない、勝利者のように生きなければならない、心の障害として生きてはいけないと感動の役事をしてあげることができる者になるように承諾してください。 私達は必ずご父母様の代表となり、子供たちも多くの人に感動をあげる子供になることがでる事を信じ、具体的に毎日成長して、私自身の心を光輝かせ、あなたをも賛美し、あなたを感動させる自分となり、私の運命を実践し、あなたに驚くような栄光をお返しする孝子孝女に私たちになれるように役事してください。切に願いながら、文亨進の家庭の名、真の父母の名、真の家庭の名、統一家の名でお祈りします アジュ

 ***

 2008年8月26日 松濤本部教会 礼拝堂

一条吉広 米国天寶會(てんぽうかい)会長

私は日本に来る前から、皆さんにお会いできるのを楽しみにしていました。今日は、皆さんのアンケートにお答えし、最後に祝福に関して触れてみたいと思います。

 私は1982年のニューヨークで行われた2075双の祝福に参加したした後、韓国で家庭をスタートしました。最初の子供は韓国で、二人目はアメリカで生まれました。二人目が韓国に帰ってきて、成長を見ながら、3,4カ月の後、どうも体の発達がおかしいということに気づきました。そして、一歳の時、クリスマスの冬休みにアメリカで検査を受け、遺伝子に問題があるということが分かりました。

 私は、グレンドーマン博士の『両親は最良の医師である』という本を読んでいましたし、また、子供が生まれる前に、『子供に数学を教えなさい』という本も読んでドット方式を学び、長女に応用させていました。息子に問題があると分かった時点で、妻がアメリカから帰ってくる前に、フィラデルフィアにあるドーマン博士の研究所に申し込みました。5月頃に、研究所から「どうぞ、来て下さい」という返事をいただきました。その時点では、やはり、日本、韓国では社会体制が障害者を受け入れ難い状況にあったので、ドーマン博士を通してだったらなんとかプラスになるのではないかと思い、私と相対者は仕事を止めて、一家は86年の6月にアメリカに引っ越しました。

 家内の両親が、研究所があるフィラデルフィアから1時間ぐらいの所に住んでいましたので、年に2回、1週間の講習を受けながら、子供のレベルをチェックして、家庭でプログラムをやるという恵まれた環境に中で、妻が3年間そのプログラムをやりました。私も毎日、帰宅してからは、いろいろなカードを作りました。安い用紙を探して、3年間で、2千枚ほど作りました。それ以来、ワシントンの郊外、メリーランド州に住んでおります。

 息子顯士(けんじ)は、障害がある場合は、21歳まで公立高校に所属できますので、特殊学級にいながら、21歳になった時点で卒業して、今は、ユダヤ系の老人ホームでボランティア活動をしています。プログラムがあり、車で送り迎えしてくれます。一日やることがあるので、本人も安心しています。

 子供の状況を申しますと、知的障害で、知恵遅れです。算数はできません。任天堂のゲームが得意ですが、ただコインを集めるのが好きで、あまり先に進みません。人の名前や物覚えが良いです。以前つき合っていた人の名前を私達が思い出せない時、「あの人の名前はなんて言うの」と聞くと、すぐに答えてくれます。家で誰かが何かを無くした時、「見たこと無い?」と聞くと、「あそこにあるよ」と言うとか、そういう面での記憶力が良いです。

 高校の時、彼は、学校の先生、スタッフの名前を覚えて、「グッドモーニング、ミスター誰々」と挨拶しました。「サンシャイン賞」というものを貰ったときも、みんなに挨拶をして、みんなからかわいがられていたからです。私たちが引っ越しすることになって、学校にお別れを言う最後も日、担任の先生がお別れ会をやってくれ、他の先生やスタッフ達が挨拶に来て、大きな色紙にメッセージを書いてくれました。

 3年間教えてくれた先生が、私たちが引っ越しし、学校が代わってその始業式の日に、そこの学校の廊下に立っていました。顯士が前の学校から転校したためプログラムがなくなり、新しい職を探していた時、20名の候補者から一人だけ選ばれてこの学校で教えることが決まったのでした。そのことを知らない私の妻は、顯士を連れて行った始業式の日、ばったり廊下で先生に会った時、「ここまで挨拶に来てくれたの」と感激して泣いたそうです。その先生は今年6月に結婚しました。特殊学級で教えてきた子供の中で、顯士だけを結婚式に呼んでくれ、顯士は私と一緒に結婚式に参加しました。そのぐらい先生は息子をかわいがってくれたのです。

 ここからは、皆さんが書かれたアンケートの中で、答えられる内容を中心にお話していきたいと思います。

 「問題を持った祝福の子女がなぜ祝福家庭に生まれるだろうか」と、誰でも疑問を持ちます。顯士が障害を持っているということがアメリカの病院で確認された時、家内は涙を流しました。「一体この障害児を祝福まで導くことができるのだろうか」「誰がこの子を相対として欲しがるだろうか」ということを家内が疑問に思っていました。「おそらく、霊界でしか祝福を受けられないだろう。」とも言っていました。しかし、問題はこの事実をどう受け止めるかが私たち親の責任です。私の体験から言えば、神様の栄光を表すためだと信じています。障害児を祝福の子女として授かったことは蕩減でもなく、重荷でもなく、それは神様の栄光を表すためです。これが私の実感です。

 私の子供の場合は、その障害の程度は比較的軽症だと思います。言葉もある程度話せますし、自転車にも乗れます。数学はまったくダメですが。私は自転車にも乗れないと思っていましたが、家族がバケーションでフロリダに行って帰ってきた時、顯士が私の目の前で自転車に乗り始めました。「いつ覚えたの」と家内に聞いたら、「向こうのおじいさんが、顕士だって自転車に乗れるよ、と言って教えてくれた」ので乗り始めたそうです。このように、「この子はできない」と、私たち 自身の中に限界を作ってしまいがちです。

 8月の初めに、昨年と同じ「ニューホープファーム」で、キャンプをやりました。そこに、一組の日本人家庭が6歳の男の子を連れて、参加しました。子供たちがボランティアのケアで乗馬をしている間、合計4回のミーティングを持ちました。そこで、自分の子供の証や今後の方向性について話しをしました。日本人の家庭のお父さんが開口一番、「質問を書いてきました。なぜ、祝福家庭に障害児が生まれるのでしょうか。」と質問しました。これは、全員が通過する心情路程だと思います。私も同じでした。
しかし、悩みに日々暮れるのではなく、いかにその苦しい心情を受け止めることができるかです。そのような期間をいかに短くすることができるかによって、私たちの人生が惨めな人生なのか、幸せな人生なのかの岐路になると思います。
私たちには特別な使命があると感じております。なぜかと言うと、障害児を通して大きな証をすることができるからです。私たち親と子の関係を見て、感動する人が多いのです。

 私自身の体験を申しますと、確か田園調布駅だったと思いますが原研時代に、私が教会活動をしている時、数人の障害者が車いすに乗って、募金活動をしていました。以前は どちらかと言うと、「変な人だなあ」と、近寄りたくない心情を持っていました。しかし、自分の子が、障害児だと分かった時点で、ドーマン博士の研究所に 通って、いろいろなレベルの障害のたくさんの子供たちを見て、そういう子供たちに、非常に心情的に近くなりました。

 先日、マクドナルドで順番を待っている時に、高校生ぐらいの男の子が「いいネクタイをしていますね」とある男性に話しかけ、次に私の所に来て、「あなたのネクタイ好きですよ」と突然言ってきました。私がその子に、「今、学校に行っているの」とか話しかけていたら、注文していたその子のお父さんが、おそらく私がからかっていると思ったのでしょう。振り向きました。その時、私は「私にも実は障害児がいるんですよ」と言ったら、お父さんが「ありがとう」と言ってくれました。自分の子供をさらけ出すのが恥ずかしいような思いでいたのに、同情心で話しかけていたというのが分かったのでしょう。(私は子供の話しをすれば泣けてきます)

結局は、顯士を通して、私の心の中に、障害者に対する思いやりの心が起こってきたのです。なぜ私たちは障害者を持っているのかといいますと、私たちは子供の世話をするためではなく、十字架を背負ったのでもなく、私の成長のために、子供を授けてくださったのだということが言えます。この子を通して私の人格を高め、完成してほしいと神様が願っておられるということを感じるようになりました。自分の足りなさが、自分の子に接する時によく表れます。皆さんも同じでしょうが、同じことを何度も言ったり、やったり、あるいは言ってもやらないこともたくさんありますし、それに対して、親としていらだちを覚えます。そういう時に、いらだちで怒ってしまうのか、あるいはじっと我慢して、「忍耐力を養うためにうちの子がいるのだな」と、どちらを感じるかをいつも思わされています。「天の人間になるんだよ」ということを神様がおっしゃっている気がします。自分の成長のために、顯士は私の近くにいるという感じがしております。ですから、だじゃれで申し訳ないのですが、観点の転換が私たちに願われていると思います。観点は、自分の子供に対する見方ですね。それを転換していくのです。障害を持つ自分の子供を、普通の子女のように扱うことが、ある意味で大切だと思います。その子供に対する同情心が逆に甘やかしにつながってはいけません。

 ドーマン博士の研究所に行った時に、講義を受ける訳ですが、その時に次のような話しがありました。あるお母さんが「うちの子はこういう態度を取るのですが、どうしたらいいのでしょうか」と聞いた時に、ドーマン博士は、「あなたにはお子様がいらっしゃいますか」と質問したそうです。さらにそのお母さんが「私の子がこういうことをやるのでどうしたらいいか分からないですけれども」と聞いた時に、ドーマン博 士は、「あなたにはお子様がいらっしゃいますか」と3回切り返したそうです。その時、お母さんは「この子にも普通の子と同じようなしつけをしないといけな いのだ」とはっと気づいたそうです。

 顯士の相対者は、ソーニャと申しまして、コロラド州デンバーに住んでいます。実は今、私の家に来ています。私がアメリカに帰る時には、既に自分の家に帰っていると思います。彼女は、ダウン症で、16、17歳になるまで、自分に障害があるということを気づかなかったそうです。彼女は、普通に話せますし、乗馬もやります。水泳も得意です。ただちょっと足りない所はあります。普通の子と同じように親が育ててきたのです。

 私は、顯士を訓読会に参加させます。少し読めるんですね。交替で1節、2節読みながら、参加しているという意識を持たせるために、本人にも読ませます。2、3行助けながら読ませます。途中まで読んで、最後の言葉を読ませるとか、簡単な単語を読ませるとかして、よくできたねと褒めてあげます。

 幸いにもうちの子は、忍耐力が強くて、どんな所に行っても、例えば、お父様のスピーチの場とか、礼拝に出ても、私たちの側にじっと座って、最初から最後まで、立ち上がったりしません。その忍耐力はすごいです。そういう面では手間が掛からない子供です。ポテトチップの袋を取り出したりして、おやつを自分で食べながら、テレビを見たり、ビデオゲームをするこができます。時々、家に一人で置いておくこともあります。子供は、自分の悩みの対象ではなく、恵みの対象であるという意識に転換できれば、本当に私たちの信仰生活が豊かになっていくと思います。

 「世界最強のお父さん」というビデオをご覧になりましたか。アメリカ人のお父さんと車椅子に乗ったきりの息子の話しです。地元の大学工学部の協力を得て、コンピューターで息子が意見を伝えることが出来るようにしたのです。ある時、彼は走りたいと表現しました。運動にほど遠かったお父さんが、彼を車椅子に乗せて走り始めました。このお父さんはトライアスロンの選手になり、どこに行っても、必ず彼を連れて走るのです。走る時、息子さんは、前に座りながら、風が受けるとうれしそうな顔をしています。そして、自分が障害者であることを忘れてしまうというのです。それからはお父さんの人生は息子と一緒に走ることに全てを捧げることになったのです。子供と一体となることによって、子供に喜びを与えることができるのです。そのビデオを見る度に、私は涙を流します。

 意識の転換の例として、神様の愛がどういうものかを私の体験を通して話してみたいと思います。学生時、毎木曜日に、一般の教会での朝祷会に行っていた時に体験したことです。教会の入り口に猫がいて、何か狙っているような姿でした。ちょっと見回しましたら傷ついた小鳥がいました。一撃を食らわされて、翼が痛んでいました。そこで、かわいそうに思って、小鳥を捕まえて手当をしてあげようと思いました。 そして、猫を追いやって、小鳥を教会に入れようとしましたが、小鳥がバタバタしました。逃げてほしくないので、もっと、ぎゅっとつかんで、中に連れて行きました。礼拝が終わった後に、「傷付いているので、世話してください」とその教会の人に頼みました。次の週に行った時に、世話をしてくれた人は、「小鳥は、2、3日後に死んでしまいました」と言いました。とても悲しい思いをしましたが、この体験を通して、ものすごく神様の愛を感じました。どのようにかと言いますと、比喩ですが、その傷ついた小鳥は私なのです。私の両手は神様の手です。私たちは、一生懸命に生きよう、生きようとして、傷つきながら、その神様の愛の手から逃れようとしている。生きるために、絞 め殺されるのじゃないかと逃げるのです。神様の愛の手は、生かすためにもっと強く締めます。それで、そうしなければその小鳥は生きられないわけですね。逃げたらもう死しかない訳です。

 私たちの信仰生活において、私たちは、生きよう、生きようとして、神様の愛から実際は逃れようとしている。私たちは、神様の愛の中に生きているのに、それ が分からないので、そこから逃げようとしている。私たちの与えられた環境は、神様の愛の中のそのものだけれども、そこから抜けることを通して生命を求めて 行く。全く逆の事をしようとしているのです。その愛が分からないのです。神様は一生懸命語りかけているのだけれども、その語りかけているのが分からないのです。ちょうど鳥かごの中の小鳥のように。ペットを飼っている人は、毎日エサを上げます。エサを上げながら話しかけます。元気?ご飯だよ、とか。言葉が返ってくる事は期待していません。「おなか空いた」「今日は気分が悪い」というペットはいません。私たちは意思が通じていると思っています。神様が私たちに一生懸命話しかけて下さるのに、私たちは神様に話しかけられない。この立場とよく似ています。

 私たちの人生には、見方を変えることを通して、神様がどこにでも宿っていることが実感できるのです。修錬会から帰ってきた時、元の環境に戻る訳ですが、自分の中に神様の愛が宿っていれば、見るもの全てが違います。観点を変えるだけで、全てが新しく見えるのです。私の与えられた環境、障害児が生まれてきたということに対して、どう受け止めるかということです。それを悩みの種として受け止めるか、恵みの種として受け 止めるか、それが問題だと思います。アメリカで、障害児を抱えて「この子は、この世の何ものにも変えることができない貴重な存在だ」と証をする親がたくさんいます。障害児から、普通の子からは得られない愛を感じるんですね。神様の立場から言えば、そういう不幸な者であればあるほど、愛の水が一番流れ込みます。惨 めな立場の子供たちに、神様の情が注がれていると思います。情の世界において、そこに神様の愛を見出せるように、そのように観点を変えられたらいいと思います。

 私たちには、み旨がありますが、私たちの子供は最終的には親が責任をとるしかありません。私がアメリカの統一神学校を卒業した時、日本人の卒業生は日本で活動するように願われていました。しかし、日本に帰ったら、子供の治療ができないと分かっていましたので、最終的には、親が決断をしなければいけないと思い、子供 に対することだけでなく、信仰者として、アメリカに留まりました。

 私たちの使命は、最終的には理想家庭を築くことにあります。霊界に行った時に、私たちの心情がどれだけ天につながっているか、どれだけ愛の人になったかが問われるのではないかと思います。
 皆さんの中で、普通の学校に行って、普通のことができるのだけれども、しかし、ちょっと欠けている、ちょっと難しいと周りの人から見られるボーダーラインの障害児がいます。ドーマン博士もおっしゃっていましたが、こういう人ほど社会生活するのがに難しいです。社会は普通の人と見てしまうので、普通の応対を予期していますので、ちょっと変なことを言ったりすると異常に見られるからです。身体的に、車いすに乗っているとか、見てすぐ障害児だと分かる人はそのように見られますので、それなりの応対を予期するわけです。ですから普通のように見える(アスペルガー症などの)障害児ほど苦しみます。そういう子供をどうやって導いて行くかが課題です。

 み旨と障害児を抱えた家族。どうやって調和させていくかということだと思います。私たちには特別な使命があります。自分の子供と親との関係を見せて、神様の愛を証していくのです。親子の姿を見せて、「どうしてここの親は子供をそんなに愛しているのだろう」と、その愛らしい姿を見せて、証して行くことができると思います。私はいつも顕士のために、顕士にしかできない方法で、天を証しすることができますようにと祈っております。他の人がやらないようなことをやる、そのような姿を通して。

 彼は、祝福を受けて帰ってきた時、彼の先生に「私には妻がいる」と言い出しました。「え、どうなっているのですか」と、その先生から電話がきました。家内が電話を受けて、私たちの教会は理想家庭を目標にしておりますので、家庭が大切なんです」と答え、原理の説明をしました。そして、先生はそのことを理解しつつ、顯士を教育してきました。全然既成概念が無いので、「I have a wife」と言っても、先生は何の抵抗を感じないんですね。彼独自の伝道の方法があるのだなと感じました。そういう内容を聞きながら、その先生は、自分の結婚式に教え子の中からただ一人、顯士を招待してくれたわけです。

 皆さん、誰でも親はいつか昇華することになります。こういう子を一体誰が見てくれるのかということが心配になると思います。私も同じです。アメリカにいる親たちも同じです。アメリカでも今回キャンプでそのような話しが出て、グループホームを設立していこうという動きがあります。私たちの理想としては、二世で祝福を受けたカップルや、児童心理学、社会福祉を学んだ人たち、障害者を世話したいという公的な心情を持った祝福家庭が、そのグループホームの責任者になる。ニューヨークかワシントンが今食口の数が多いので、どちらかに一つモデルとして作り、各州にそれを展開していきたいというのが今後の展望です。

 それから、アンケートの中に、「社会に役立つ人間になってほしい」というのがありましたが、私は、障害者たちが、自分の姿そのままで、社会に役立つ人間にな れると思います。特別な技能を教えるとかではなく、今できることを習えるのでしたらそれにこしたことはありませんが、自分の姿を見せることを通して、証し人になる、そういう方向で導いていけたらいいと思います。中には教会の責任者の理解をなかなか得られないという意見もありましたが、フルーツバスケットとしても、理解してもらえないというのは、受動態ですので、 自分をコントロールできないのですね。してもらいたいではなく、逆に責任者を感化していけるような姿勢で臨む方がやりやすいと思います。

 これは一つの哲学でもありますが、「私はある人に腹が立った」「私の心を傷つけた」そういう否定的な心が起こったとします。「された」という姿勢がある限り、絶対その状況は変わりません。それは、「された」のではなく、「させた」のです。自分が傷つくように、自分の情を任せてしまったということです。相手の言うことに対して、傷つけることを許してしまった。そうなれば、自分が主体なのです。自分が主体でやったり、感じたことは、自分がコントロールできます。 他人がやったり、言ったりすることは私たちはコントロールきません。

 しかし、私たちが変えられるのは、自分の考え方と行動です。私たちはいろいろなことに対して悩みますが、中にはどうしようもない悩みがあるでしょう。相手が何かを言った時に、それを消化するならば、その人に対して「かわいそうな人だな」「まだ幼いんだなあ」という親の情がわいてくるのです。怒るのではなく、傷つけられたと思うのでもなく、かわいそうだなあという情が湧く人間になれば、自分の人格が高められるのです。