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「トイレも風呂も消え、道路や広場は糞便で汚れ放題…」衛生観念が無視された街で広がったハイヒール、スカート、香水の意外な“共通点”
火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。歴史を見ると化学がいかに我々の生活を大きく動かしてきたのかがよくわかる。 苦手意識を持つ方が多いであろう化学も、歴史とともに紐解いていけば、実はそんなに難しく感じないのかもしれない。そんな化学を知る上での手助けをしてくれるのが東大講師・左巻健男氏による『 絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている 』(ダイヤモンド社)である。同書から一部抜粋し、上下水道が作られた経緯を紹介する。
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ハイヒール・スカート・香水
ローマの滅亡とともに、上水道は大部分が破壊され、上水道も下水道も中世末期までの長いあいだ暗黒の状態を続けた。トイレも姿を消した。当時のキリスト教の教えでは、いかなる肉欲もできる限り制すべきと、肉体をさらす入浴は罪深いとなり、公衆浴場、自家風呂は消え失せた。衛生観念が無視されたのである。 そうなると街はどうなってしまうのか。 道路や広場は糞便で汚れ放題。ほんの間に合わせで片付けるだけとなったので地下にしみ込み、井戸を病原菌で汚染する結果になった。 貴婦人たちの裾が広がったスカートは、どこでも用を足せるようにするための形である。17世紀はじめにつくられたハイヒールは、汚物のぬかるみでドレスの裾を汚さないために、考案されたもので、当時はかかとだけでなく爪先も高くなっていた。なかには全体が60センチメートルの高さのハイヒールまであったという……。 また、2階や3階の窓から、しびん(寝室用便器)の中身が道路に捨てられるので、その汚物をよけるためにマントも必要になった。この頭上から降る危険のため、紳士は淑女が道の真ん中を歩くようにエスコートする習慣ができたと考えられる。 当時は服もあまり洗濯しなかったし、お風呂やシャワーもまったく利用しなかったため、体臭などをごまかすために、金持ちは香水を大量にふりかけていた。香水の発達の背景にはこんな事情があったのだ。
“エチケット”の語源?
当時、便意を催せば、時、ところかまわず、排せつ行為が公然と行われた。17世紀フランス芸術を代表するベルサイユ宮殿。その初期建設工事にはトイレ用にも浴室用にも水道の設備がなかった。 宮殿のなかで、ルイ14世や有名な王妃マリー・アントワネットなどが使用していたトイレは腰かけ式便器だ。おしりの部分に穴が空いている椅子型の便器で、汚物は下の受け皿にたまるようになっていた。王様用は、ビロード張りで金銀の刺繍付きの豪華なものだった。
この時代、ベルサイユ宮殿には、王様や貴族、その召使いなど約4000人が住んでいたと推定されているが、腰かけ式便器は274個しかなくあまりにも数が不足していた。このため、豪華絢爛な舞踏会のときには、清潔好きな人は携帯用便器(おまる)を持参した。便器にたまった汚物は、召使いたちが庭に捨てていた。宮殿内の便器の中身も庭に捨てていたのに加え、近くに便器のない人は廊下や部屋の隅、庭の茂みで用を足した。その結果、美しいことで有名な庭園も、糞便であふれ、ものすごい臭いが漂っていたらしい。 この様子に宮殿の庭師が怒り、庭園に「立ち入り禁止」の札を立てた。はじめは無視されていたが、ルイ14世が立て札を守るよう命令を出してから守られるようになった。 実はエチケットはフランス語で「立て札」の意味なのだ。このエピソードからエチケットが現在のように「礼儀作法」を示すようになったといわれている。
コレラ流行は何が原因なのか?
コレラは、感染者の便で汚染された水や食物を口から摂ることによって感染する病気である。その原因菌のコレラ菌は1883年にロベルト・コッホ(1843~1910)によって発見された。コレラ菌は、その毒素により激しい下痢や嘔吐を起こす。適切な治療をすれば死亡率は11パーセントと低いが、そのまま治療しないと死亡率は50パーセントにもなり、重症の場合は、症状が現れて数時間後に死ぬこともある。 コレラ菌などの病原菌が発見される以前、コレラに限らず病気は悪い空気(瘴気、ミアズマ)を吸うことで起こると考えられていた。ミアズマはギリシア語で「不純物」「汚染」「穢れ」の意味である。 コレラは何度も大流行を起こし、多数の人々を死に至らしめた。世界的流行としては、第一次:1817~1823年、第二次:1826~1837年、第三次:1840~1860年、第四次:1863~1879年、第五次:1881~1896年、第六次:1899~1923年、第七次:1961~継続中の7回を数える。
水道を供給する会社によって、コレラによる死亡率が異なる
「コレラはミアズマで起こるのではない。水にふくまれる何かが原因である」ことを、1855年、麻酔学者のジョン・スノー(1813~1858)が明確に証明した。 1850年頃のロンドンでコレラの流行が起こっていたが、彼は水道を供給する会社によって、コレラによる死亡率が異なることに気がついた。汚染された水を供給する水道水(取水口が下流にあった)を飲んでいる家庭では、コレラの死亡率が高かったからだ。ミアズマ説では、このことを説明できない。 スノーは、1854年にロンドンのブロード街でコレラが流行したとき、死者が出た家と、彼らがどこの水を飲んだかを一軒一軒訪ねて調べ、地図に書き込んだ。死者を黒点で表してその分布を分析すると、ほとんどの死者がブロード街の中央にある手押し井戸付近の住民であることがわかったのだ。井戸から離れている家でコレラにかかったのは、井戸の近くの学校に通っている子どもであったり、レストランやコーヒー店の客であったりして、いずれも井戸の水を飲んでいた。 また、奇妙なことに、井戸の近くにある従業員70人のビール工場では、重症のコレラを発症した人はいなかった。調べてみると、工場の従業員は井戸の水は飲まずビールを飲んでいたのだ。そこで、汚染された井戸の使用を禁止にすると、コレラの流行は、ぴたりと止んだ。 19世紀のロンドンで起こった一連の経緯は、「疫学」的方法の重要性を示している。「疫学」的方法では、集団を観察し、病気になる人とならない人の生活環境や生活習慣などの差異を検討して要因を明らかにする。 後年の調査によると、この井戸近くの肥料の汚水だめにコレラ患者の糞便が混入したこと、汚水だめと井戸が90センチメートルしか離れていないことがわかった。
伝染病が上下水道を発達させた
中世末期まで、家庭の汚物は、道路の上または道路の中央の溝に流した。しかし、何度もペストやコレラの伝染病が流行し、その度に多数の人命が犠牲になった。 そこで、16世紀になってようやく、市民生活の衛生を保つことが重要視されるようになり、少しずつではあるが、小規模の上水道の工事が行われるようになった。1582年、ロンドン橋に水車で動くポンプを据えて配水したが、テムズ川は激しい船運のために汚濁しがちだった。 19世紀になると、蒸気ポンプ・排水用の鋳鉄管および浄水装置(砂による人工的ろ過)が発明され、水を処理してきれいにし、ポンプによって送水をする大規模な近代水道の条件が整ってきた。 ヨーロッパ最初の公共給水は、1830年、産業革命の先進国イギリスのロンドンで実施された。また、1831年のコレラ流行は、ロンドンの地下下水道を発達させた。しかし、せっかく下水道ができてもただ河川に放流するだけだった。そのため河川はますます汚れて、工業用水としても使用不能なものになりつつあった。1861~1875年にはテムズ川の両岸に川と平行の水路をつくって流したが、それでも下流の汚染は防げなかった。 また、1848年のドイツのハンブルクに次いで、19世紀後半からは、ドイツやフランスの都市でも下水道がつくられるようになった。下水を噴水のようにして「ろ過材」をまき、その表面にできる細菌の膜で汚物を分解する方法、あるいは、現在の下水処理場で行われている「活性汚泥法」(好気性微生物をふくんだ汚泥で有機物・無機物を分解する汚水処理の方法)が考案・改良されていった。 なお、日本では、江戸時代に水道の建設が始まっている。江戸市民の生活用水を、小石川上水(1590年、のちの神田上水)、玉川上水(1654年)などから給水。水源からの傾斜を利用する「自然流下方式」と呼ばれる設備が建設された。
ニホンオオカミが絶滅した一因である憑き物落とし
水を処理してきれいにし、ポンプによって送水をする近代水道が始まったのは、1887年からだ。その年の10月に、横浜で水道の給水を開始。その後、函館、長崎、大阪、東京、神戸と次々に給水が開始された。 このように急速に水道が敷かれていった背景には、水系伝染病であるコレラの大流行がある。1822年、日本ではじめてコレラが発生する。これは第一次の世界的流行の影響であり、西日本から東海道にまで広がった。 第二次の世界的流行を日本は免れたが、第三次の世界的流行が日本に襲いかかる。1858年から3年に及ぶ流行は、死者3万人を超え、攘夷思想にも大きな影響を与えたといわれている。1853年のペリー来航から、日本には外国船が次々と押し寄せた。多くの人々は、コレラは異国人がもたらした悪病と考えたのだ。そのため、異国人に対する排斥思想(攘夷思想)が高まっていった。歴史は政治思想によってのみ動くのではない。複合的な要因により、形づくられているのだ。 また、コレラなどの疫病を退治するために、中部・関東地方では、秩父の三峯神社や武蔵御嶽神社などニホンオオカミを神様の使いである眷属として、憑き物(人にとりついて災いをなすとされる動物などの霊)落としに霊験あらたかな「眷属信仰」が盛んになった。 その結果、憑き物落としに使うニホンオオカミの遺骸の獲得を目的とした捕殺が増えたことが絶滅の一因になったと考えられている(『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝著、丸善出版)。 現在では、改善されつつあるとはいえ、たとえばコレラ・チフス・赤痢などの病原菌をふくんだ水や、自然環境中に広く存在しているヒ素が基準以上にふくまれている水を飲まざるを得ないなど、いまだに世界には安全な水を飲めない人々がいる。 2017年時点でも、毎年52万5000人の五歳未満児が下痢によって命を落としている。トイレの不足など不衛生な環境と汚染された水が原因とされるが、水に関係した衛生状態の改善により、予防をすることができる。また、ヒ素で汚染された地下水の飲用による慢性ヒ素中毒は、インド・バングラデシュをはじめ、世界各地で発生している。